「人を傷つけて喜ぶ人の気持ち」が分かるか
僕はアメリカで勉強しているとき、誰かに車を傷つけられたことがありました。
ひどくショックを受けている僕に、先輩のカウンセラーがこんなことを聞いてきたのです。
「ノブ、こうやって車を傷つけて楽しんでいる人の気持ちがわかるか?」
「まったくわからないですよ! 何が楽しいんですか? こんなことして」と僕は答えました。
すると先輩も、「うん、俺もわからない」と答えます。
なんだ、この会話! と、心の中で先輩の言葉にもイライラしていました。
でも、そのとき先輩は、
「よかったなぁ、ノブ。お前は“こっち側”の人間だ。この犯人は人を傷つけることでしか喜びを感じられない人生を生きている。一方、俺たちは人の車を傷つけて喜ぶ人間の気持ちなんてまったくわからない側の人間で生きている。ノブは、次に生まれるなら、どっちで生まれたい?」
僕は「“こっち側”で生まれたいです」と答えました。
「おめでとう。君がこっち側の人間でよかった」
世界には傷つける人と傷つけられる人がいる
世界には、傷つける人と傷つけられる人がいます。
「ノブ、お前はこちら側で、人を傷つける側でなくてよかった。この犯人が「闇の人生側」を引き受けてくれた。だから俺たちは胸を張って生きていられるノブ、この闇の人生を生きている哀れな犯人のために祈ろう!」と言ったのです。
このときにクリスチャンが言う「祈ろう」の深い意味に感心させられました。
社会に生きていると、傷つく出来事にはどうしても出会います。
でも、このエピソードのように、傷つく出来事は傷つけた側の問題であり、そういう人や言動に異世界の人として距離を取ることができれば、自分はいい人生を歩めていると考えることが可能なのではないでしょうか。
意地悪な人に出会った日は、インナー心理カウンセラーにこう言ってもらい、笑って家に帰るのです。
「いやぁ、今日もめずらしい生き物に遭遇しちゃったな」
「あの人、レアキャラだったな。ある意味、すごい才能」
「でも、“お土産”にして家にまで持って帰ることはしないぞ」
そう、「マイナスな心を持ち帰らないこと」も、あなたを守る術です。



