都市部の労働者にとってビールは「健康」
太平洋戦争期になると、ビールもまた「産業戦士」の回復剤として特別配給されていた。この時期には、ビールの年間消費量の数割は、軍需関連部門の勤労者への特配分にあてられていた。ビールの労働補完的なイメージを日本社会にいっそうひろめたのは、この配給制度であったと、麒麟麦酒の社史は述べている。
(『麒麟麦酒株式会社五十年史』)
事実、特配制度の終盤期になると、ビールが労働的身体の保全に役立つという信仰は、都市男性を中心に相当程度ひろまっていた。
1956年、麦酒酒造組合が「ビールという飲みものは健康的な飲みものだと思いますか」と、全国の20歳以上の男女7859人に聞いている。属性別の結果を見ると、都市の男性勤労者たちにおいて、この信仰はとくに目立って見えていた。「健康な飲みものだと思う」人びとの割合は、回答者全体では56%だったのに対して、男性の事務職(757人)では76%、男性自由職・管理職(153人)は74%、男性労務職(687人)は70%にのぼっていた(『ビール需要についての世論調査』)。
この種の信仰は、その後も、都市の男性勤労者の間で長らく保たれ続けることになる。2003年、宝酒造が、「健康によいイメージのお酒」はどの酒類か、飲酒習慣のある「男性ビジネスマン」600人に聞いている。最多は赤ワインで39%、次にビール23%という順だった(『外食産業統計資料集』2004年版)。
労働者には「飲みやすく、酔いにくい」がウケた
普及期のビール党が、つぶれるまで飲むことをきらう、労働配慮型・理性志向型の飲み手であったのもたしかである。かれらの多くは、ビールであってもさほどは飲まない、節酒派の人びとからなっていた。
雑誌『実業之世界』による飲酒アンケート(1916年)から、具体例を見てみよう。「晩酌」時の平均酒量についての、実業家たちの回答である。「ビールならば一本」(共同火災保険専務・村上定)、「折々五勺位日本酒又は小壜のビール位」(日の出生命保険取締役・久米民之助)、「ビールの小瓶を一本」(丸善支配人・小柳津要人)。
「ビールに宿酔なし」という宣伝文句の確からしさを生み出していたのは何よりも、こうした飲み手たち自身の自制的な態度なのである。
戦後の調査では、よりはっきりとビール党の節酒志向が認められる。1954年に国税庁が行った飲酒実態調査では、「先月中〔54年11月中〕にビールを飲んだ者」と「ビールが一番好きといっている者」623人に対して、「1回に丁度いい〔ビールの〕量」を答えさせている。回答の結果では、かれらビール党の7割方は、「大ビン2本」以下を飲酒機会1回あたりの適量と見なしていた(『酒類についての世論調査』)。
20世紀後半の酒宴の労働的なありようからしても、度数が軽いビールは都市勤労者たちにとって、非常に相性のいいアルコール飲料であった。


