「悪酔いしない滋養飲料」のイメージが定着

かくて都市の酒場を起点として普及をはじめたビールは、戦後に至り急速な大衆化を進め、酒類市場の覇権を掌握する。このビール人気の高まりの理由はあきらかに、その労働順応的なイメージに所在した。

いいかえると、20世紀の都市勤労者たちが共有した、労働従属的な飲酒様式に似つかわしいイメージを、この外来の酒は強くまとっていた。飲んでも酔わず、理性を保持することができ、しかも健康的な滋養飲料、というイメージである。この点で、アルコールの労働補完作用に対する信仰が、ビールの覇権時代において定着したことには、一定の必然性が認められる。

実際、20世紀後半のビール需要の劇的な伸びが、この飲料がまとった生産的なイメージにささえられていたことは、ビール会社の歴代の社長が一様に語っている。

「大衆の消費傾向は健康的な軽アルコール飲料のビールに向っている」(朝日麦酒社長・山本為三郎。『新日本経済』22巻1号、1958年)、「これほど安くうまく、健康的な大衆飲料はほかにないので、まだまだ伸びますね」(サッポロビール社長・内多蔵人。『東邦経済』42巻4号、1972年)、「健康的な低アルコール飲料というビールの商品特性が、消費者から支持された」(麒麟麦酒社長・本山英世。『総合食品』12巻9号、1989年)。

酒ではなく、疲労回復剤に近い売り出し方

そもそも日本社会において、ビールの労働順応的なイメージがひろまる始点となったのは、かれらビール業者の宣伝活動であった。「薬効」についての広告規制のゆるさもあいまって、20世紀前半のメーカー企業が自社ビールに付与したイメージは、酒というよりは、疲労回復剤や栄養剤のそれに近いほどだった。

大正・昭和初期の広告コピーから、いくつか引いてみよう(『応用自在現代広告文句辞林』、『広告実務講座並広告文案資料』、『広告年鑑』)。

「ビールに宿酔なし ビールは滋養に富む」(ヱビス・サッポロ・アサヒビール)

「純良なる麦酒は「飲む」に非ずして「食う」也 一杯のビールの滋養は同量の牛乳に等しく四合のビールは牛肉三十匁の効力に匹敵すと」(キリンビール)

「一杯のビール良く労を忘れ元気を恢復す」(カスケードビール)、「湧き出ずる活力 あふるる生気」(サッポロビール)、「健康は何よりの資源 アサヒの一杯 活力の源泉」(アサヒビール)