戦時中はビールの生産量も大きく減った
物資統制がしかれた時代(太平洋戦争前後の時代)には、ビールも生産量を大きく減らされた。ただ、契約農家が栽培するビール専用の大麦を主原料とした関係上、ビール会社に対して出された減産指示は、清酒メーカーと比べると緩やかだった。サッポロビールの社史は理由をこう説明する。
ビール会社の原料不足が深刻化したのは、ビール大麦を契約農家から直接買い入れできなくなり、また専用大麦の作付面積も規制されはじめた、1944年度以後のことだという(『サッポロビール120年史』)。
減産措置の以上のような(相対的)緩慢さから、酒類全体の生産量に対してビール生産量が占める割合は、戦争時代にむしろ大きく伸びていた。1937年度は23万キロリットルで19%だったのが、1945年度は9万キロリットルで30%に達していた(『酒のしおり』1960年度)。
高度経済成長期にビールの消費量が激増
年間の酒類別消費量において、ビールが清酒を追い抜いたのは1959年度である(清酒65万キロリットル、ビール71万キロリットル)。以来、両者の差は開き続けることになる。
1970年度には、清酒の消費量153万キロリットルに対して、ビールの消費量は291万キロリットル。20年後の1990年度になると、清酒137万キロリットルに対してビールは646万キロリットル(同年の酒類総消費量の7割に相当する)と、5倍に近い差が生まれていた(『国税庁五十年史』)。
大都市では、ビールの消費量・販売量が清酒を追い越したのはもっと早い。『国税庁五十年史』によると、1951年度にはすでに、東京都の酒類別年間消費量は、清酒が2万キロリットル、ビールは4万キロリットルと、ビールが清酒を上回っていた。
高度経済成長期を通じて、さらにこの差は大きくなる。1970年度の都内のビール販売量は49万キロリットルで、酒類の総販売量の約7割を占め、清酒(15万キロリットル)の3倍強に及んでいた(『東京都統計年鑑』1970年度)。

