お信がいなければ、八雲とセツは出会わなかった

もともと、セツがどのような経緯で八雲の女中として雇われたかは、はっきりしていない。

前述の桑原の取材では、ツネが「お信の友達に小泉セツさんという士族のお嬢様があり」と証言したことが記されている。ところが、セツ自身が記した『思ひ出の記』には「宿の小さな娘が眼病を煩っていましたのを気の毒に思って」とあり、友人という関係ではなかったようだ。

長谷川洋二『小泉八雲の妻』(松江今井書店1988年)では「お信が、人伝にセツのことを知り、住み込み女中を求めているハーンの話がセツに伝わった、といったところが想像されるのである」と推測している。

つまり、友人というほど親しい間柄ではなかったが、お信が仲介役となってセツに話が伝わったということだろう。少なくとも、お信がいなければ、八雲とセツの出会いはなかったかもしれない。そう考えると、この15、16歳の少女は、八雲の人生において決定的な役割を果たしたことになる。

そうした八雲の人情こそが、セツとの間に深い信頼関係が生まれる原点だったのではないか。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons

一貫した姿勢が、セツの心を動かしたか

セツは士族の娘とはいえ、没落士族である。父は早くに亡くなり、家計は苦しく、住み込みの女中として働かざるを得ない境遇だった。つまり、彼女もまた社会の弱者だった。

八雲が、身分も人種も違うお信という少女のために怒り、私財を投じて救おうとする姿を、セツは間近で見ていたはずだ。あるいは、お信から直接その話を聞いたかもしれない。

外国人教師という権力ある立場にいながら、弱い者を決して見捨てない。むしろ、不正義に対しては激しく怒る。その一貫した姿勢が、セツの心を動かしたのだろう。

八雲という男は信じられる。この人は私を裏切らない。そう確信できたからこそ、セツは言葉も文化も異なる外国人との結婚という、当時としては途方もない決断を下せたのではないか。

お信への献身は、単なる美談ではない。それは、八雲の根にある「弱者から決して目をそらさない」という資質そのものの証明である。

そしてその資質にこそ、セツは自分の人生を預けたのだ。

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