八雲が治療費を出し、霊験を願って大金を納めた
八雲自身、幼い頃に両親が離婚し、大叔母に引き取られて育った。愛情というよりは義務として養育され、孤独な少年時代を送った経験がある。さらに、アメリカでの極貧生活、新聞記者時代に見てきた社会の底辺……。八雲は、弱者がどう搾取されるかを身をもって知っていた。
だからこそ、冨田旅館で働く少女の姿に、自分自身の影を見たのである。
そんな八雲はお信が眼病を患っていることを知ると、激怒した。
「女中代わり」として引き取っておきながら、夫婦は少女が眼病で苦しんでいてもまともに医者にも診せていなかったのだ。八雲は自ら診察代を出し、完治するまで治療を受けさせた。
興味深いのは、八雲が頼った医師・西川自省の反応である。西川は、外国人教師が身寄りのない少女のために自腹で医療費を払おうとする姿に深く心を打たれ、無料で無期限に治療することを申し出たのだ。自身も片目を失明している八雲にとって、境遇も似ているお信は、まったく他人とも思えない少女だったのだろう。
実際、治療が始まった頃、八雲はお信をともなって一畑薬師に参拝している。一畑薬師は出雲大社と並ぶ出雲地方の信仰の中心であり、眼病に霊験あらたかとされる寺だった。このとき、八雲はお札を受ける際に10円もの大金を納めている。
八雲の月給が100円だから、その1割といえば現代の感覚で言えば、月収50万円の人間が5万円を一度に寺に納めたようなものだ。とてつもない額である。
八雲自身も一緒に参拝していた
医者の治療費を出し、さらに霊験を願って大金を納める。外国人教師が、血縁もない日本人の少女のために、ここまでするだろうか。
しかも八雲は、お信を「連れて行かせた」のではない。自ら「ともなって」参拝したのだ。主人が使用人を寺に行かせるのではなく、二人で一緒に祈りに行く。その距離感に、八雲とお信の関係の特異性が表れている。
八雲にとってお信の眼病の全快は欠かせないものであったらしく、冬の寒さで体調を崩して寝込んでいた時期にも、西川医師を訪れて治療の相談までしていたほどだ。
一方で夫婦への怒りは、生涯消えることがなかった。
セツと結婚した後、たまたま隣人が冨田旅館の主人だと知っただけで、八雲は露骨に不機嫌になり、隣人やセツを唖然とさせている。それどころか、後年松江を訪れた際も、冨田旅館に立ち寄ることすら一度もなかった。八雲が、ここまで徹底的に拒絶し続けたという事実。それが、彼がお信の境遇にどれほど心を痛めていたかを物語っている。
そうして、眼病も快方に向かったお信のおかげで、八雲はセツとの運命的な出会いを果たすことになる。
