よく言えば「自立心が強く行動的」、悪く言えば「高慢で我が強い」
さらに石光は、こう続ける。
机を囲んで談笑するうち、同氏の婦人が籠手田安定男爵の長女であると聞いて大いに驚いた。私が内地にいた頃、籠手田男爵の長女が家を出て行方不明になったという話を聴いたことがある。次いで次女も同様に出奔して世間に噂の種を蒔いた有名な事件であった。(中略)あの派手な噂の女主人が、こんな山奥に、しかも無精ひげだらけの風変わりな近藤氏と夫婦になっていることが不思議でならなかった(石光真清『曠野の花』竜星閣1958年)。
八雲の文献だけを読んでいると、ドラマにおけるリヨのイメージそのままに八雲に好意を寄せていた令嬢=よいところのお嬢さん像を想像してしまう。でも、どうだろう。これらの文献から浮かび上がってくる淑子というのは、県議会に乱入しようとし、領事館の圧力にも屈せず、そして駆け落ちまでするという驚くほど自我が強く、気性の激しい女性である。
父親譲りの剣術を身につけ、松江婦人会の会長として采配を振るい、男爵家の令嬢という立場をものともせず、自分の意志を貫き通す。よく言えば自立心が強く行動的、悪く言えば高慢で我が強い。
なぜ八雲は淑子を避けたのか
そんな淑子と、繊細で内省的な八雲。ウグイスを贈られて感動したのは事実だろうが、二人の関係がそれ以上発展しなかったのは、当たり前である。
なにしろ、八雲はエリザベス・ビスランドへの想いが成就しなかったことを内省していたはずだ(参考記事:11歳年下の女性にゾッコン…「ばけばけ」で描かれない、小泉八雲が来日直前に書いていた“ラブレター”の中身)。彼女は作家でジャーナリストという才媛で、八十日間世界一周を成し遂げた行動力の持ち主だった。八雲は彼女に惹かれ、プロポーズまでしたが拒絶されている。
確かに、意志の強い女性というのには、母性への憧れもあってひかれてしまう。しかし、自分はそういう女性とはうまくいかないと、自覚していただろう。
さらに、八雲がもっとも苦手なのは、女性のほうからグイグイと積極的に迫られることであった。このことは、息子の一雄もこう記している。
かつて米国で新聞記者時代においてすら、某夫人でハーンの崇拝家があり、たびたび招待したり、物品を寄付したり大分熱を上げた時「私も記者として当市では幾分人に知られている人間です。変な噂などたてられたくありません」といって父は避けている(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店1950年)。

