官民一体の神風祈願「祭の後」を見据えよ
そういう「凄い日本」を実現するためのインフラは老朽化が進んでいます。推進派の人々は、このような節目に大規模な改修工事を進めたいという気持ちはあるのでしょう。実際に、64年の東京オリンピックでは一般道路の拡幅と立体交差道路の推進が行われ、この結果、諸外国の大都市に比べて東京は渋滞が割と少ないという評価を一応は得ることに到りました。
運用面でも、地下鉄、空港、モノレールなどの交通機関の24時間運行化も含めた試案が出ているようですし、輸送キャパシティの維持・増大は喫緊の課題とも言われています。同じく、老朽化が進む首都高の改修に、環状道路のさらなる拡幅、一時的に増大するであろう電力需要に対応するために東京近隣でLNG発電を行う施設の増設も検討されるなど、見渡す限りの公共投資の山ができることになります。
これらの事業は何があろうが生活都市東京を考える上では必要なものですが、オリンピックの開催が決まればそれらの事業は前倒しになり、また実需もそれなりに見込まれることから、世界的にも東京に投資しようという機運は大きくなるかもしれません。オリンピック後も、私たちが住み続ける東京がより良い環境を維持するための事業に繋げ、また日本に来たいと外国人観光客に思ってもらえるような都市設計にしなければ、すべてが「過剰な無駄銭」になってしまいます。
今回、猪瀬さんが提唱する新・東京五輪のコンセプトである「コンパクト五輪」は、選手村のできる晴海を中心に半径10キロ程度で競技と式典を完結させる、という話だそうです(※2)。人口減の状況の中でまた副都心エリアを作ってしまうのかと思うと不安ですが、湾岸エリアの開発ラッシュは加速することでありましょう。
一方で、高齢都市東京が直面する問題は、オリンピック向けの公共投資を拡大してもカバーできない分野を多数残します。まあ、老人介護や老朽団地のゴーストタウン化などは、いくらオリンピックが盛り上がろうが無関係に沈没するのは仕方がありませんからな。華やかなイベントを基点に都市開発を促進させようとしても、そういう手のひらから零れ落ちる水のような部分に東京都民の生活の本質があることを忘れてはならなかろうと考えるわけです。