明治維新によって日本はどう変化したのか。政治学者の遠藤正敬さんは「例えば、明治政府は戸籍制度によって、家を天皇に忠誠を誓う臣民の教育機関と定義した。それは、国家は家庭に立ち入らないという近代国家の原則に反したものだった」という。――(第1回)

※本稿は、遠藤正敬『戸籍の日本史』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

民法と書かれた本を持つ男性
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明治の民法が定めた「家族」の定義

今日の法律において「家族」の定義を定めたものはない。だが、1898年に施行された、いわゆる明治民法にはそれが明文化されていた。

明治民法の第732条には「戸主こしゅノ親族ニシテそのル者及ビ其配偶者ハこれ家族トス」(太字筆者、以下同)と規定された。

文言からまずいえることは、戸主の親族あるいは配偶者でない者、たとえば使用人や書生などは「家族」ではないということである。

問題はここでいう「家」の意味である。それは「家屋」のことなのか? 否である。明治民法起草委員の一人であった富井政章とみいまさあきらは端的に「家ハ戸籍ノコトヲフ」(1895年10月16日法典調査会)と説明していた。

つまり、明治民法の条文中に出てくる「家」という文言はそのまま「戸籍」と読み替えられる。早い話、家とは戸籍、戸籍とは家なのである。よって、戸主と同じ戸籍に載っている者が「家族」ということである。戸籍が「家族」を決めるのである。

他の条文をみても、たとえば、明治民法には「妻ハ婚姻ニリテ夫ノニ入ル」(第788条第1項)、「子ハ父ノニ入ル」(第733条)という条文があるが、それぞれ「妻は夫の戸籍に入る」、「子は父の戸籍に入る」という意味になる。

家長は「ミニ天皇」だった

ここで肝心なのは、同じ戸籍に記載されているからといって必ずしも同じ屋根の下に暮らしていることを意味しないという点である。すなわち、就学や就職で戸主と遠く離れて暮らしていても、戸籍は戸主と一緒のままである。逆に、戸主と同居していても同じ戸籍に載っていない者は「家族」ではなく「他人」なのである。

要するに、同じ戸籍に入っている者こそが「家」の一員ということである。ここが明治民法の要である。

なぜこれが重要なのかというと、この「家」すなわち戸籍に入る、入らないということを決めるのは「家長」の権限とされたからである。明治民法において、家長は「戸主」と称された。戸主は単に戸籍の筆頭者というだけではない。誰をその「家」の一員とするか、言い換えれば誰を同じ戸籍に入れるかはひとえに戸主の定めることとされた。

たとえ実子でも、戸主と同じ戸籍に入れなかったり、あるいは戸籍から追い出すことができたのである。それ以外にも、戸主には家族を統制する諸々の権限が与えられていた。
いうなれば、戸主とは家における「君主」であり、家庭版「ミニ天皇」であった。ここに戦前の家制度、戸籍制度の特色がある。