旗本が無理矢理作った浪士組

結局、松平忠敏は浪士取扱頭取となり、清河の赦免を願い出て、幕府内の強い反対をかわしてそれを押し通した。こうして地域や身分、家柄に関係なく、だれもが志願できる浪士組が結成されることになった。

近藤勇が関わるのはここから先である。牛込二号半坂(東京都千代田区富士見)にあった忠敏の屋敷を訪問し、浪士を募集する目的が将軍の上洛の警護などだと聞いて、すぐに参加を決めたという。そしてこの募集に、江戸近郊の多摩地区出身の、主として農民階級の武芸の練達者たちが、大勢集まることになった。

多摩郡小野路村(東京都町田市)に小島鹿之助という名主階級の男がいた。のちに近藤勇の義父になる天然理心流3代目の近藤周助に入門し、4歳年下の近藤勇とは義兄弟の契りを結んでいた。鹿之助は近藤らが上洛したのちも、近藤や土方歳三らの相談相手として手紙のやり取りを続けた。京都から送られる近藤らの情報は正確かつ詳細で、それらはまた、新選組の内情を知る貴重な史料ともなっている。