初代大蔵大臣の子供の数は…
そう考えると、当時梅子には恋人はいなかったようなので、伊藤博文が手を出そうと思えば出すことはできたかもしれません。でも、同じ屋根の下に暮らした時期もある二人ではありますが、伊藤博文は梅子にだけは一切手を出すことはありませんでした。
その理由についてはさまざまな推測ができますが、伊藤博文は梅子を純粋に尊敬し、大切にしていたのではないでしょうか。梅子自身も、学校創設時などのスポンサーとして政治家や貴族を頼らず、一切の政治的影響を持ち込まないよう徹底していたようです。
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