ところが、それも長くは続かない。気候が順調だったらみんなが花見をできるけど、雨が降ったり風が吹いたりすれば、それを待たずに花ははらはらと落ちてくる。去年は順調でも、今年はどうなるかわからない。よく見ていると、人間だって同じだよ。
2回目の千日回峰行のときは、もう慣れているから軽くできるんじゃないかと思うでしょう。でも、僕はそう思わなかった。何が起きるかわからないのが世の中だから。慣れた道でも甘く見ないで、今日を真剣に歩かなかったら絶対に続かないんだよ。
机の上で図面を見て計画を立てるのは大事だけれど、実際には、そのとおりにはいかないのが普通だよ。毎日が違う。自然というのはそういうものなんだ。
東日本大震災では福島の原発が大事故を起こしたでしょう。東京電力だけがそうしていたわけではないけれど、やっぱり設計図や地図を見て対策をとっていたと思うんだ。するとどうしても、現実の世界からはちょっと離れてしまう。思いもよらない事態が起きたというけれど、僕にいわせればあたりまえだよ。自然というのは思いどおりにはいかないからね。
世の中は、すべて移り、変わりゆく
今日が万全だからといって、明日も万全というわけにはいかないよ。お釈迦さまが「およそつくられたものは無常である。どうして(滅びないことが)あり得ようか」とおっしゃっているけど、つまりはそれが諸行無常ということなんだ。
人生は積み重ねだからね。重ねて、重ねて1つのものができるんだ。たとえば刃物の使い方だって、子供のときから親の手元を見ながら覚えるでしょう。自分でもやってみて、危ないときには親にアドバイスをもらいながらマスターする。昔はそういうことを通じて、子供は親を敬ったし、兄弟とか地域の横のつながりもあったんだ。
ところが戦後は、よそ(外国)からきた言葉が素晴らしいというふうになっちゃった。伝統を守るのは一部の人だけで、大勢の人たちは「みんながいいというから、いいんじゃないか」くらいの軽い気持ちで(西欧近代の個人主義に)付和雷同していくんだよ。それで親子の絆や兄弟の絆、友達の絆をなくしちゃった。