この「歴史新聞」の発行に幸いしたのは、当時、コピー機が身近になかったことです。鉛筆でひたすら書き写すしかないのですから。しかも百科事典によって内容が異なると、全部の事典を書き写す。そのうちに自分なりの大友宗麟像を書き添えるようになる。書き写しているうちに、頭の中で「思考と整理作業」をしていたのです。

勉強って、そういうものではないでしょうか。好きなことをやればいいのです。それが文学でも『ぐりとぐら』でもいいし、僕のように歴史でも、理科好きなら太陽系などの話でもいい。興味を持ったことを一生懸命やればいい、させておけばいいのです。ちなみに僕の場合は授業が終わると「図書館の子」になっていたので、音楽もダメ、スポーツもバツ! ちょっとした肥満で中学1年のときで体重は58キロ、中2で75キロ、中3で87キロでしたから。でも本人はそれを何らコンプレックスと感じていなかった。自分は本が好きなのだからと。

「読み書きソロバン」は近代以前からの日本の教育の原点ですが、今はその「書き」がおろそかになっています。小学生のうちに、書くことをいとわない感覚を持たせる。まず書ける土壌を作るために文章を丸写しする。この、書き写す作業はものすごく尊いことなのだと、今、人を教える立場になってことさら痛感しています。コピペはダメ。時代がどう変わろうが、とにかくこの習慣だけは絶対に絶やしてはいけないと思います。

緊張と弛緩がある豊かな関係が大事

子供が問題を解けないときには、「わからない時間」をどれだけ親子で共有できるかが大切だと思います。書き写しも、最初は親子で一緒にやればいいのです。

算数が苦手な子には、同じドリルを2冊買ってきてお母さんも一緒にやればいい。そのとき注意するのは、量を増やしたりレベルを上げるのではなく、つまずいているところに必ず立ち返って1からやり直すことです。基礎ができていないと絶対に前には進めません。だからわかるレベルまで立ち返ってやり直す。1学年下のレベルでもいいじゃないですか。ここで親の焦りは絶対禁物なのです。