だがキダー・ピーポディの米国本店で架空利益計上が発覚し、日本法人が閉鎖。ドイツ銀行のデリバティブ部門に、新規セールス担当として転職した。
「ドイツ銀は当時、日本中からサムライ債や政府保証債を買い集めて、ヨーロッパで転売していた最大手。ガイドブックも何もないところから、デリバティブ取引を始めました。ところが気がついたら、たまたま始めた新しい分野がブレークし、そこに自分がいた。ラッキーでした。
2年ほどいて、TD(トロント・ドミニオン)証券に移ったときは、TDのロンドンオフィスへつれていかれて、転職を決めました。そこにいたのは、能力がピカイチで、できない理由より、どうやったらできるかを考えるタイプの人間ばかり。こういう連中と働きたいと思って、その場でサインをして帰ってきました。
TDでは新しいことにどんどんチャレンジさせてもらえました。消費者金融の債権の証券化とか、当時の日本の金融界では考えられないようなエキゾチックなことをやりすぎて、金融庁から検査に入られたこともありました」
収入は破格だった。当時の愛車はマセラッティとフェラーリ。趣味の音楽を楽しむために、2000万円かけて自宅地下にオーディオルームもつくった。だが業界の先行きには不安を感じていた。
「僕をTDに誘ったランス・ウグラという人物が、01年にマークイットというデリバティブ商品の評価会社をつくって独立しました。彼は03年の段階で、いずれサブプライムのような問題が起きると予測していた。まわりを見ていても、実体を伴わない証券化商品が粗製乱造されていました。マークイットの日本支社長に就任したのは04年です。年収はそれまでの10分の1になりました。