大胆かつ繊細、未来志向、自分は運がいいと考えている。お金に愛される人だけが知るルールがある。ここでは、アジアを活躍の舞台に選んだ5人を事例に、黄金法則を確認しよう。普通のビジネスマンだった彼らは、どのように考え、行動して、成功への階段を上がったのか。
川沿いに観光客に人気のナイトスポットが立ち並ぶボート・キーに、イタリアンレストラン「エノテカ ラ・オペレッタ」はある。オーナーの水谷克己は、日本支社長を務めた外資系金融情報サービス企業を退職。シンガポールには2010年9月にやってきた。
「川沿いの夜景に魅入られ、何もわからないまま場所だけ契約。3カ月後の12月に店をオープンさせました。この国にきた当初は金融関係のコンサルティングで食べていこうと考えていました。ただ、金融の時代はもう終わる。人のお金を右から左に流して、レバレッジによって一部の勝者と多数の敗者が生まれていく。これが長続きするわけはなく、そろそろサブプライムを上回る世界的な金融のダウンサイズが起こると思っています。
そういう世界で生きていくのではなく、後悔しないお金の儲け方をしたい。そう考えたとき、自分の中に残ったのがレストラン経営でした。ワインが好きで一時は3000本所有していました。コレクターというより、まだ世間に知られていないものを見つけてきてふるまい、みんなを驚かせることに喜びを見出すタイプ。その延長線上で人を楽しませることができたらと考えたのです」
経歴はユニークだ。名古屋の進学校が肌に合わず1年で退学、海外へ渡った。
「寿司屋をやっていた元級友の親戚を頼ってトロントへいきました。ケータリングのときに音楽に乗せて寿司を握るパフォーマンスをしたら、市長に呼ばれるほどの評判になり、当時はチップだけで月2000ドル稼いでいました。ところが労働許可証の問題などで、2年ほどで日本に戻ることになった。帰国して調理師学校へ通いながら、名古屋フィルハーモニー交響楽団で通訳のアルバイトをしていました。でも僕が高校中退だとわかると周囲の態度が変わる。この国では大卒というエントランスチケットがなければどうにもならないと身に染みました」