戦線の兵士に戦局を知らせる「新聞」を作る捕虜たち
そのころ、主に戦線の日本将兵に戦局と世界情勢を知らすために『マリヤナ時報』という4頁の新聞がハワイで作られていた。この新聞のスタッフは、長いこと日本へ行ったことのない日系市民が中心となっていたので、文章もおかしく、内容の選択にも的外れが多かったようだ。はじめ私は、この新聞記事を、印刷に回す前に、グループに見てもらい、変な日本語を直してもらっていたが、直接グループが翻訳することにした。
比島では『落下傘ニュース』という同種の新聞が比島派遣軍から発行されていた。これをグループに見せると目を瞠った。
「本物だ。内地の一流新聞に劣らない鮮やかな編集をしている。これは、新聞の紙面製作に充分経験のある者がやっているに違いない」
「いるんだねえ、フィリピンにも。――ぼくらと同じ志の捕虜が。ぼくらより、もっともっと優れた人たちが――」
『落下傘ニュース』は、グループに感動を与え、勇気づけた。ひとたびは決意したものの、自分たちだけが、突飛な考え方に落ちているんじゃないかという不安に、ときどき襲われたが、こうした同志の存在は、連中に確信を与えた。
「天皇は残して財閥は叩く」
ニミッツ司令部の宣伝課長をしていたジョンソン大佐が、グループの話を聞きにやってきた。軍部に関しては問題のあろうはずはなかったが、天皇と財閥をどう思っているかが話の中心になった。グループの支配的な意見は、天皇は要らないものだということだった。
ただ、天皇にいま触れることは賢明な策ではない。四方八方塞いでしまうことは、ますます抗戦に駆り立てることになるから、都合のいい逃げ口として、天皇を残すのが、戦争を早く終わらす方法だと主張した。
財閥については、必ずしもグループの意見は一致していなかったが、多数の意見としては、財閥は叩くべし、であった。侵略戦争の責任からいっても、軍部と同罪だし、国民一般は、財閥攻撃を受け入れ易いという意見が多かった。

