『真珠湾収容所の捕虜たち』 #戦争 #太平洋戦争 #書籍抜粋 2025/08/18 16:00 #1 #2 B-29から撒かれた「日本語ビラ」はこうして作られた…米軍の作戦にハワイの日本人捕虜が進んで「協力」したワケ 米兵は原爆投下の知らせを聞いて顔を覆った PRESIDENT Online オーテス・ケーリ +フォロー 同志社大学名誉教授 前ページ 1 2 3 4 5 6 ここから先は無料会員限定です。無料会員登録で今すぐ全文が読めます。 今すぐ無料会員登録 プレジデントオンライン無料会員の4つの特典 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信 約5万本の無料会員記事が閲覧可能 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能 記事をブックマーク可能 ログインして続きを読む 【関連記事】 こうして日本は対米戦争へ突き進んだ…名参謀・瀬島龍三が語った「旧日本陸軍エリート集団」の不協和音 「日本人が帰れない島」が北方領土以外にもある…戦後、自衛隊だけが住み続ける「太平洋に浮かぶ島」の名前 だから「悠仁天皇」より「愛子天皇」が待望される…専門家が指摘する天皇の直系であること以外の理由 息子を「種馬」にして26男27女を作らせる…NHK大河で生田斗真が演じる一橋治済が起こした「徳川家乗っ取り計画」 石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」 1 2 3 4 5 6 オーテス・ケーリ(Otis Cary) 同志社大学名誉教授 1921年小樽生まれ。同志社大学・アーモスト大学名誉教授。14歳で進学のためアメリカに帰国し、42年、アメリカ海軍日本語学校に入学。真珠湾の陸海軍情報局に情報将校として配属され、戦場に赴いたのち、ハワイの日本人捕虜収容所長に就任する。アーモスト大学卒業後の47年、アーモスト大学から同志社大学に派遣される。51年イェール大学大学院で修士号取得。79年まで同志社アーモスト館の館長、92年までアーモスト大学代表を務めたほか、国際文化会館理事としても日本の国際化に貢献した。87年に勲三等瑞宝章を受章、89年に京都市文化功労者として表彰された。著書に『ジープ奥の細道』(法政大学出版局)、『日本との対話 私の比較文化論』(講談社)など。2006年逝去。 <この著者の他の記事> ハワイの捕虜収容所所長が「捕虜は恥、死んだほうがまし」と嘆く日本人の「軍国教育」を解くために行ったこと 関連記事 こうして日本は対米戦争へ突き進んだ…名参謀・瀬島龍三が語った「旧日本陸軍エリート集団」の不協和音 「日本人が帰れない島」が北方領土以外にもある…戦後、自衛隊だけが住み続ける「太平洋に浮かぶ島」の名前 だから「悠仁天皇」より「愛子天皇」が待望される…専門家が指摘する天皇の直系であること以外の理由 ランキング 1位 このままでは日本車も半導体も作れなくなる…日本が誇る基幹産業を"人質"に取った習近平の「最大の切り札」【2026年1月BEST】 ランキングをもっと見る 社会 #戦争 #太平洋戦争 #書籍抜粋