特攻隊の無惨な死に体を震わせる米兵も

ジョンソン大佐は、当時国務次官だったグルー氏と親しく、近くワシントンへ行くということだったので、グループの意見を参考に伝えてもらうことにした。飛行機の都合で明朝ということになったので、ディーン中尉と幡さんが中心となって、徹夜で進言書を作り、翌朝30部のコピーを飛行機のジョンソン大佐に手渡した。

ドイツ降伏の報を間もなく聞いた。さしもの沖縄戦も、やがて終わりを告げた。沖縄周辺で死んだ特攻隊員に送った女学生の手紙を翻訳していたディーン中尉が、近くにいた2、3人を呼んで、