――具体的にどう立ち回ったのでしょうか?

稲田:駆け出しの料理人だった頃は、日々の雑用の合間で、誰に頼まれてもいないレシピをひたすらにつくり続けていました。和食店の料理人をしていたときも、お店で出すわけでもないエスニック料理を毎日のようにつくっていましたし。それを見ていた上司から「次に出す新しいお店はエスニックにしたい」と声がかかり、実際の仕事につながったという経験もあります。

それなりの役職を得た後も、新しいお店を立ち上げる際は自分が料理に特化できるよう、人のマネジメントや数字の管理に強いメンバーを積極的にチームへ迎え入れたり(笑)。

――そうしたアクションは、ビジネスのスケールと自分のやりたいことを両立させるためには大事なことですよね。

稲田:ただ、始めから計算ずくだったわけではありません。雑用も含め、目の前の仕事を手当たり次第こなしているうちに「料理がどれだけやっても苦にならない」ことを確認できました。自分にどんなスキルがあり、どんなことが好きなのか、どんなことに特化すべきかに気づけたのは、まずは選り好みせず、ひと通りの経験を積み上げたからだと思います。

――料理人の世界でも「修行や下積みはムダ」といった言説をたびたび見かけますし、近年は若手のビジネスパーソンからも、効率的に、最短経路でスキルや経験を得たいといった声を聞きます。でも、稲田さんのお話を伺う限り、キャリアを積むならむしろ最短経路を目指さないほうがよいのでは、とも感じます。

稲田:少なくとも僕はそう思いますね。役に立つか立たないかという指標で物事を捉えると、本来見えてくるものも見えなくなってしまう可能性があるように感じます。自分が好き・得意だと思い込んでいることでも、突き詰めてみると意外とそうではないと気づかされるケースもありますからね。

画像提供=MEETS CAREER by マイナビ転職

なぜキャリアの最初に「大きな組織」を経験すべきなのか?

――今のお話に関連して、やりたいことに関する知識や経験、技術を集中的に得るより、より汎用性のある知識や経験、技術を得たほうが、結果的に自分のやりたいことも成功しやすいという法則はあると思いますか? 料理のやり方に絞るなら、最近はネットで調べていくらでも独学できますよね。

稲田:それは確実にあると思います。例えば、あるシェフが小さな個人店を営んでいて、個性的な料理で評価を得ていたとします。でも、そのシェフに憧れる駆け出しの料理人がその店に飛び込んで修行し、独立したら成功するかというと、おそらくそんなことはないでしょう。

なぜなら、そのシェフの個性的な料理は、「基礎技術」という土台のうえに積み上げられたものだからです。オーセンティック(伝統的)な料理の技術や文化、店舗運営のイロハを学ばず、最初から表層の部分だけを会得しようとしても、うまくいく可能性は低いと思います。なぜならこの業界は目まぐるしく変わるからです。社会の変化に合わせて、勝ち筋も変わってくる。だからこそ、常にセカンドプランを持ち、店も提供するサービスも料理も変えていく必要がある。その際に土台がないと、何をどこまで変えていいのか分からず、変化に適応できなくなってしまうんです。

――なるほど。さまざまな職種・業種で「大企業を先に経験しておくほうがいい」といった言説はしばしば耳にしますが、やはり料理人の世界でも若手のうちに大きなお店で働いたほうがキャリアのつぶしがきく、といったことはあるのでしょうか?

稲田:あるでしょうね。大きな組織の利点は、さまざまな知識や経験が体系化されている(体系化されたマニュアルが存在する)ことだと思います。個人店のように小さな組織から知識や経験を得ようとすると、「見て覚えろ」ではないですが、どうしても暗黙知として学ぶ必要が出てきます。これはかなり非効率です。一方で、大きな組織だとマニュアルや共通言語を介して仕事ができるので、知識や経験を取り込みやすい。それに、スキルの土台となるものを過不足なく学べます。

だから、何かに特化したジャンルの組織を渡り歩くよりも、まずはベーシックなスキルを身に付けられる組織に入ったほうが、キャリアを積む効率は良いだろうと思います。

ちなみに僕はそうじゃなかったので本当に回り道をしたな、と思います……(笑)。

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