ゴールデン街で一番酒癖の悪い女

相手の男は何回か変わったが、男のアパートに転がり込んでなんとか食いつなぐ生活から抜け出したのは、17歳になった直後だった。「アルバイトをしないか」と声をかけてくれたスナックのマスターが、アパートを借りる金を貸してくれたのだ。なにもないアパートの畳の上で、大の字になって解放感に浸った。やっと一人で生きて行ける。心底、嬉しかった。

男との縁は切れたが、アルコールに溺れた。毎日、浴びるように飲んだ。酔うと大泣きすると店のマスターが教えてくれたが、記憶はなかった。その店を皮切りに、バーやクラブを転々とし、最後は銀座のバーに勤めた。22歳になっていた。

銀座に移ってからも、酒はやめられなかった。店がはねてから、毎晩、新宿のゴールデン街に行く。一人で何軒も梯子して、へべれけになるまで飲む。それが日課だった。

一人で飲んでいると、いろいろな男が声をかけてくる。ゴールデン街のママやマスターが「純に触るな!」と言ってくれるが、それでもしつこい男がいる。かまわれたくない私は、突然、激高し、ビール瓶をたたき割って相手の男に突きつける。「ゴールデン街で一番酒癖の悪い女」と言われるようになっていた。

新宿花園一番街(写真=Toomore Chiang/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

ある日、アメリカ旅行に誘われ…

そんな私にも、店をやらないかと言ってくれる人がいる。なぜかわからないが、水商売に向いていると言われた。だが、店をやる気にはなれなかった。山椒魚のように、一生、カウンターの中から出られなくなりそうな気がしていた。

ある晩、店の客が、「アメリカ行きのツアーに突然キャンセルが出て困っている」と言って駆け込んできた。「格安にするから。行き帰りだけで、あとは自由にしていいから」と言われ、その気になった。景勝地や観光地には興味がなかった。人間が見たいと思ってニューヨークに行った。

といっても、昼間から酒を飲んで、ニューヨークの街をふらふら歩いていただけだ。奇抜な服を着た人や、ボロボロの服を着た浮浪者みたいな人が行き交っている街は、どこか自由で肌に馴染んだ。それでも、強く印象に残るものはなにもなかった。まあ、面白かったという程度の感想で、帰りの飛行機に乗り込んだ。

ところが、飛行機が離陸を始めたとき、突然、「もう一度、ここに来なければならない」と強く思った。自分でも驚いた。理由がまったくわからなかったからだ。それでも、久しぶりに目的というものをもった私は、理由がわからないまま、それを「天啓」と名付け、1年後、再びニューヨークに降り立った。