2つの人格が統合され始めた
つきものが落ちたような感じだった。そうだったのか。そういうことだったのか。私は世間や両親の価値観を批判しながらも、それを打ち消すことができずにいた。それなら私は、堕落した人間のクズではないのか。いや、そうではない。私は確かに堕落した人間のクズだった。自分でもそれを知っていたのだ。
私の中で、分裂していた2つの人格が統合され始めていた。私をクズと決めつける世間や親に牙をむき、その価値観を否定しようと躍起になって抗っていた自分と、「お前はクズだ。生きる価値などない」と、誰よりも厳しい声で私を責めたてるもう一人の自分。この2人の激しい抗争が、私を破滅へと導いていた。対立する2人の自分の狭間で、私は自分を見失い、自分がなにを望んでいるのか、なにがしたいのか、まるでわからなくなっていた。
命を奪いかねない勢いで対立していた2人の自分が統合されていく先で、私は、どのような自分に、どのような人間になっていくのだろうか。そのときはまだ、なにもわかっていなかった。
私は「かわいそうな子ども」だったのか?
私の両親のような者は、最近「毒親」と呼ばれているらしい。そんな親に育てられた私のような子どもは「アダルトチルドレン」と呼ばれたりもする。
だが私は、これらの言葉が好きではない。これらの言葉は、親を加害者、子どもを被害者と規定している。そのことに間違いはない。だが、被害者は弱者である。そこには「かわいそうな者」というニュアンスがある。アダルトチルドレンは、「かわいそうな子ども」だ。
私は自分が、かわいそうな子どもだったとは思わない。親のせいでひどい目にあったことは確かだし、そのせいで愚行を重ねたことも事実である。だが、私の愚行は、すべて抵抗であった。戦い方がわからなかったので自分を痛めつけ、体にも心にも生涯消えることのない傷を負った。だがその傷は、押し付けられた人生を拒否しようとして、死力を尽くして戦った証である。どれほど愚かしい戦いであろうと、それは「被害者でいることに甘んじるつもりはない」と、もがいた私の足跡である。
どんな親の元に産まれようと…
多くの子どもたちが、いまも勝ちが見えない戦いに挑んでいる。その戦いによって、身を亡ぼす子どもは少なくない。大人になっても、消えることのない痛みや歪みを抱えて苦しむ者もいる。だが、どんな親の元に産まれようと、被害者であることから抜け出すことをあきらめてはいけない。
親や世間に抗いながら生き延びた私の経験が、生きづらさを抱えて苦悩する多くの者たちにとって、少しでも役に立つことを願っている。
ここまでのことは、『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社刊)で詳しく書いた。2003年に出た本なので、もう書店にはない。もしかしたら古書店にはあるかもしれない。読んでやろうと思ってくださる方は、お探しいただければ幸いである。