古式捕鯨発祥の地、和歌山県太地町でも

場所は変わって、熊野灘を望む古式捕鯨発祥の地、和歌山県太地町でもクジラの弔いが続けられている。太地町では17世紀初頭から現在まで、勇魚いさな(クジラの古来の呼び名)漁が続けられてきた。この地の漁法もかつての仙崎同様、船団でクジラを網に追い込み、網に絡まったところをモリで仕留める古式捕鯨である。

江戸時代は紀州藩の保護を受け、太地町での捕鯨漁は最盛期を迎えた。戦後の商業捕鯨時代は町の勇ましい漁師たちは南氷洋へと繰り出し、名を馳せた。だが、1988(昭和63)年の商業捕鯨の停止をきっかけにして、太地町は冬の時代を迎えることになる。

撮影=鵜飼秀徳
イルカ漁が続けられている太地漁港

現在、国内でイルカを含む小型のクジラを捕獲する漁業を続けている地域は、北海道・網走や千葉県・和田(南房総市)、沖縄県、そしてここ太地町など限られている。太地町での捕鯨対象はコビレゴンドウ、オキゴンドウ、バンドウイルカ、マダライルカなどだ。

実はクジラとイルカの違いはあまりない。歯が生えているハクジラの仲間でおおむね4メートル以内のクジラをイルカと呼んでいる。こうした鯨類は、現在でも太地町の漁獲量の約3割を占める重要な水産資源となっている。クジラ・イルカ漁は、町の長い歴史の中で醸成してきた大切な食文化なのだ。

だが近年、漁期に入ると町は物々しい雰囲気に包まれるという。環境保護団体シーシェパードが現地に入り、捕鯨漁への妨害行為を繰り返しているのだ。2009(平成21)年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した米国映画『ザ・コーヴ』では太地町のイルカ漁が批判的に描かれた。

私は6年前に、太地町でのクジラ供養祭を取材した。1年の追い込み漁の総決算として、毎年春にクジラ供養祭が実施されている。

撮影=鵜飼秀徳
太地町のクジラの位牌

クジラ供養祭は、町外れにある梶取崎で実施される。そこは、熊野灘を眼下に望む絶好のロケーションにある。かつてはクジラの見張り場としての機能も備えていた。近くの岬の突端には古式捕鯨で使われた狼煙場が残されていた。ここからクジラが視認できると、船団に対して狼煙や旗で方向を合図したのだ。

クジラ供養祭の主催は、太地町漁業協同組合と捕鯨OB会である。会場には「謹弔」と書かれた大きな花輪と祭壇が設けられ、揃いのTシャツを着た組合員らが続々集まってくる。

くじら供養碑は1979(昭和54)年に立てられた比較的新しいものだ。モチーフはセミクジラで、全長5メートルほどもある。ペンキで着色され、一見、ユーモラスで可愛らしいため、どこか遊具にも見えなくもない。

地元の子どもが奉納する「いさな太鼓」と共に供養祭が始まる。僧侶による読経に続き、漁業組合員や捕鯨OBらが焼香台で手を合わせていく。例年計100人ほどが参列。捕鯨漁師の高齢化により、参加者は近年、減少傾向にあるという。時に反捕鯨団体などの妨害があるという。