国の構造改革による強制的な退院ルール

しかし手をこまねいている場合ではないので、総合病院での治療を終えると、所沢の国立リハビリテーションセンターへ移り、リハビリを開始した。すると思いのほかリハビリ効果が現れ、半年ほど経過した頃にはゆっくりとなら歩けるようになった。

「もしかすると元の生活に戻れるかもしれない」という希望が見え始めたのだ。

ところがそんな矢先に、主治医から退院を言い渡されてしまう。

私は「せっかくここまで回復して、あと一歩というとこまできたのだから、もう少しリハビリを続けさせてほしい」と懇願したがダメだった。

小泉純一郎政権の構造改革によって、「慢性病患者の入院日数は6カ月まで」というルールに改定されたからだという。

この容赦のない構造改革によって、どれだけの人が大きな苦しみを抱えることになったか計り知れない。

父のようにリハビリを中断せざるを得なくなった当事者も哀れだが、家で介助に追われるようになった家族の負担は、肉体的にも精神的にも、そして経済的にも一気に拡大したのだ。

1年3カ月に及ぶ「要介護4」の父の自宅介護

父の場合、介護施設に入るという手もあったのだが、本人が拒絶した。当時、周囲の人に「父は思考能力はしっかりしている」と話すと「よかったね」と言われることが多かったのだが、それはそれで厄介だった。

半身不随になった父は一人では何もできないのに口だけは達者で、そのうえ頑固。文句は一流だったのだから。

その時点で父は「要介護4」に認定されていたのだが、「要介護3」が食事や入浴、トイレの際に介護士やヘルパー、あるいは家族の手を借りなければいけないというレベル(現在の私が要介護3)だ。

これが「要介護4」になると、家族が自宅で介護するのは不可能だというレベルなのだ。しかし妻は父が自宅介護を望むのならと腹をくくってくれた。

この時期に妻にかけた多大な労力と精神的な負担に関しては、本書のあとの章に譲るとして、父の自宅介護は1年3カ月に及んだ。

ある時、父に横行結腸がんが見つかり手術したのだが、術後の経過が芳しくなかったことから、介護保険適用の老人保健施設に入所することになった。

出所=『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)