答えはわかるけど記述そのものが書けない?
2つ目に気になったことは、6年生になってからの「全国統一小学生テスト(四谷大塚の模試)」と日能研の模試では、日能研の偏差値のほうがおよそ5~10ポイント低くなっていたことでした。日能研での偏差値が50代半ば前後のところ、「全国統一小学生テスト」の偏差値は50台後半~60台、最後の模試に限って言えば、その差は20ポイント近くもありました。
「この差は、どうして生まれるんだろう?」
受験者の学力レベルに、そこまで大きな差があるとは考えにくい。両者の違いは「全国統一小学生テスト」は、記述の無いマークシート式の解答方式で、日能研は記述のある一般的な解答方式ということです。
それまでの私は、「息子は記述が苦手だから、記述のある日能研が低くてもしょうがない」と短絡的に考え、思考停止していたのですが、ここでもう一度、内田先生の仮説思考を思い返してみました。
マークシート式なら回答できるということは、「答えがわからないから記述が書けない」のではなく「答えはわかるけど記述そのものが書けない」のではないか?
その仮説をもとに、解答できなかった日能研の記述問題を、“口頭で”答えさせてみると、かなり独特な言い回しで話は長いものの、正しい答えを話すことができたのです。息子の頭の中にある情報が多過ぎて整理できておらず、その情報を出す“蛇口”が詰まっているように感じました。
自分とは違う「息子の世界観」に注目
以前、発達障害動画メディア『インクルボックス』でインタビュー取材をした、国内外で障害者就労や障害研究を行っている中尾文香さんは、「発達障害者には彼らの世界観があり、対話でお互いに知ることが当事者のパフォーマンスにとても重要」だと言います。
振り返ってみると、私は小学校6年間毎日、登下校と習い事に同行して息子とコミュニケーションを取るようにしていました。一般的な父と子の関係よりも、会話量は多かっただろうと思います。
「発達障害の息子には特有の世界観があって私にも私の世界観がある。同じではない」
中尾さんの言葉通り、やはり当時からそう何となく感じていました。そのような経緯から、息子が記述を書けない理由が、情報を処理する能力が相対的に低いことに加えて、固有の世界観から「独特な情報取得と思考のルートを辿っているためでは?」と感じていました。