衆院選は「立民の不戦敗」だった

野田代表では首相指名選挙に勝つ見込みがないため、立憲民主党内では1993年の総選挙後に野党第4党の日本新党の細川護熙氏を首相に担いで連立政権を発足させたことにならって、国民民主党の玉木雄一郎代表を首相候補として野党全体で担ぐ奇策もささやかれるが、人一倍プライドが高い野田代表が応じる可能性はないと諦めムードが漂っている。

総選挙は「政権選択の選挙」である。与党第一党の自民党総裁と、野党第一党の立憲民主党代表のどちらを首相にするかを有権者が選ぶ選挙といってよい。ところが選挙区では野党候補が乱立し、共通公約もなく、野党連立政権のイメージはまったく見えなかった。立憲はそもそも「政権選択の選挙」に持ち込むことすらできなかった。ある意味で「不戦敗」である。

自民党が万年与党、社会党が万年野党だった中選挙区時代、総選挙は「政権選択の選挙」ではなく、社会党の勝ち負けは「議席の増減」で認定された。二大政党が政権を競い合う小選挙区制が導入され、野党第一党の目的は「議席増」から「政権交代」へ変わった。ところがマスコミは中選挙区時代の発想から抜け出せず、野党第一党が議席を増やせば「躍進」と報じた。その報道姿勢が野党を甘やかせた。

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「石破首相も、野田代表も同じ穴の貉」

野田代表も今回の総選挙で、政権交代を実現させなくても議席を伸ばせばマスコミに「躍進」と評価されると見越していたに違いない。だからこそ、立憲の議席増を最優先し、他の野党との信頼醸成・連帯強化を怠ったのである。

野党第一党はいくら議席を増やしても、政権交代を実現できなければ「敗北」である。それが二大政党制の鉄則だ。野田代表は引責辞任すべきであると私は考えている。政治報道がそのような判断基準に脱皮しない限り、野党はいつまでたっても強くならない。事実上の勝敗ラインである「比較第一党」に届かず「政権交代」を果たせなかったのに、野田代表が居座るのなら、自ら設定した「自公過半数」の勝敗ラインを棚上げした石破首相と同じ穴の狢だ。

自公が過半数を割り、政権交代も実現しない情勢で、政界の主役に躍り出たのが国民民主党である。野党第二党の日本維新の会が総選挙敗北で代表辞任論が噴出し混乱するのを横目に、政界のキャスティングボートを独り占めした格好だ。

少数与党政権は極めて脆弱である。内閣不信任案がいつ可決されてもおかしくない。予算案や法律案も与党だけでは成立させられない。石破政権は当面の連携先として国民民主党にターゲットを絞り、与党陣営に引き込むことを目指す。

国民の玉木代表は自公連立入りを否定する一方、個別政策の協議には是々非々で応じる方針だ。連立入りすれば裏金問題を批判して国民に投票した有権者を裏切ることになり、来夏の参院選でしっぺ返しを喰らう。自公に取り込まれないように距離を保ちながら、過半数割れの弱みにつけこんで、ガソリン税減税など個別政策で大幅譲歩を勝ち取る戦略だ。