「H」が有力容疑者であることを伝えた毎日新聞
「検証」では、〔「毎日新聞は(1966年)7月4日夕刊で有力な容疑者として袴田さんのイニシャルを使い『従業員“H”浮かぶ』とする記事を掲載」〕したことを問題にしている。内容には全く触れていない。
特ダネとなった社会面トップ記事内容は、「捜査本部は4日、同社製造係勤務、H(30)を有力容疑者とみて証拠固めをしている」とある。
事件からたった4日しかたっていない段階で、袴田さんが「有力容疑者」となったことを毎日新聞だけが伝えた。
4日夕刊には、袴田さんの容疑が濃くなった理由について「①三十数人の作業員でHを除く他の従業員のアリバイが成立した。Hは夜一人でいたと言っている、②Hの部屋のタンスから血のついたシャツが発見された、③Hの右手に新しいひっかき傷や切り傷がある、④女性関係が多く、しばしば給料の前借りをしてお金に困っていた」などと細かく挙げていた。すべて警察取材を基にしているのだろう。
毎日新聞と他紙の報道の違い
翌日の5日朝刊でも社会面の大きな記事で、Hを9時間以上も取り調べたことを取り上げた。
「Hは『火事のあった晩(6月29日)は事件発生までずっと寮の部屋にいた。火事の知らせでかけつけたが、そのときけがをして血がついた。消火作業でぬれネズミになったのでいったん部屋に戻り作業着に着替え、再び職場に行き、けがの血がついたあとを水洗いし、夜具戸ダナに入れておいた』と容疑について全面的に否定している」などと、警察での袴田さんの供述を詳しく紹介している。
この記事で、袴田さんは当初から、はっきりと容疑を否認しているのがわかる。
同じ4日夕刊の静岡新聞は社会面トップで、「凶器か? 小刀を発見 犯人面識者強まる えん恨、物取りかはっきりしない」などの見出し記事を掲載した。
毎日新聞が袴田さんを「有力容疑者」とした翌日の静岡新聞5日朝刊でも「H」などのイニシャルはなく、「従業員から事情聞く」の見出しにとどまり、容疑者は特定できていなかった。
記事内容も「知人出入り者など内部関係をよく知る従業員らから調べてゆく」「有力な情報はない」などと袴田さんにたどり着いていなかった。
これだけでも、当時、事件当初から毎日新聞の記事が他社を圧倒していたことがよくわかる。