1966年に静岡県で起きたいわゆる「袴田事件」で袴田巌さんに無罪の再審判決が出されたことを受け、毎日新聞を含む新聞各社は謝罪記事を掲載した。元静岡新聞記者でジャーナリストの小林一哉さんは「毎日新聞は当時から特ダネを連発し、冤罪を助長してきた。今後の事件報道で捜査機関からのリークに頼らない報道ができるのか疑問だ」という――。
再審無罪確定を報告する集会で、あいさつする袴田巌さん=2024年10月14日午後、静岡市
写真提供=共同通信社
再審無罪確定を報告する集会で、あいさつする袴田巌さん=2024年10月14日午後、静岡市

再審無罪判決の翌日に出された「おわび記事」

9月26日の静岡地裁で袴田巌さんを無罪とする再審判決が言い渡された翌日の27日毎日新聞朝刊は、紙面1ページのほぼ半分を使って、「袴田さん本紙報道検証」という大きな記事と、坂口佳代編集局長による「人権侵害おわびします」という3段見出しの非常に長い署名記事を掲載した。

27日毎日新聞朝刊
オンライン編集部撮影
27日毎日新聞朝刊(オンライン編集部で一部加工)

その記事にジャーナリストの江川紹子さんが談話を寄せている。

見出しは「冤罪事件から学ばず」で、「記者と警察は一体化しているかのようだった」「当時の記者はなぜ過去の三つの冤罪事件から学ばずに、袴田さんを犯人視する報道を続けたのか」などと批判している。

1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社専務一家4人が殺された事件で、毎日新聞は同年7月4日夕刊の社会面トップの「従業員『H』浮かぶ 血ぞめのシャツを発見」という特ダネ記事を皮切りに、連日、他社を圧倒する記事を掲載した。

当時の記者だけに責任をなすりつける「検証」

当時の新聞報道を比較すれば、毎日新聞は袴田さんを「犯人」とする一家4人殺しの事件報道を大きくリードしたことがはっきりとわかる。

毎日新聞は「検証」で、当時の記者たちについて、「捜査当局と一体化したような書きぶり」「自白に重きを置きすぎた報道」「記者が実態をある程度把握していたことがうかがえるものの、捜査手法に疑問の目を向けたものではなかった」などと批判している。

さらに、坂口編集局長は「1966年当時の紙面を振り返ると、袴田さんを『犯人』とする捜査当局の見立てを疑わず報道していた」として、「報道による人権侵害を二度と繰り返さない」などと「おわび」している。

つまり、特ダネを連発した当時の記者たちの取材手法などを徹底的にこきおろしているのだ。まるで1966年当時の記者たちの取材手法に問題があったかのような書きぶりだ。

この「おわび」を正面から読み解くならば、毎日新聞と現在の警察回りの記者たちは今後、過去と同じような取材に基づく特ダネ記事を書くことをやめてしまうのだろうか。

いい加減な「検証」と、ひとごとのような言い訳と取れる「おわび」は、単に当時の記者たちに過去の責任をなすりつけただけにしか見えない。

いったい、何が問題だったのかを明らかにする。