噛み合わない両親

母親は、物事の優先順位をつけることが下手だったようだ。

「母が優先順位が付けられず、何か他のことを挟みながら夕食を作っていて遅れたりすると、父は苛立ち、ドスドスと台所に入ってきて、ガチャガチャ大きな音を出しながら皿をめちゃくちゃに並べ、バターン! と大きな音をたてて台所を出て行きました。そんな時、母はこれみよがしに大きな溜息をつき、『何なんだよ……余計な仕事増やして……(母が使いたい皿と違った)」と怒りを滲ませたりしていました」

白柳さんが小学校高学年の頃、両親と弟とで車で出かけていたときのこと。両親が会話していたところ、母親が父親の言わんとしていることを理解せず、要領を得ない受け答えを続けていると、父親が我慢の限界に達したのか、「俺は歩いて帰る!」と言って車を停め、運転席から降りると、本当に歩いて行ってしまったことがあった。

「そのあとは母の運転で帰ったのですが、ものすごく恐怖でした。父がどんな気持ちでその行動に出たのかわかりませんが、お互いに気持ちが行き違っているのは間違いなく、父の行動は良くないですが、母に対して父が怒るのもわかるなぁと、子ども心に感じていました」

だからと言って、全面的に母親が悪いわけではないようだ。

白柳さん曰く、父親は、「強情で人の意見を全く聞かず、人情味がなく自己中なタイプ。いつも不機嫌で、一度怒らせれば無茶苦茶怖い」という。

「父は、友人や職場の同僚を我が家に呼びつけてマージャンを楽しみながら飲み食いすることがありましたが、友人や同僚に対しても私たちに対する時と同じ態度を取り、ねちねち嫌味を言ったり、急に不機嫌になって『帰れ』と言ったりするので、遊びに来る人はどんどん少なくなり、数年のうちに誰も訪れなくなりました。私が中学生のころ、父の部下が自殺したのですが、私は父が原因なのではないかと思っています」

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母親や子どもたちは当然の如く、同居していた父方の祖父母までも、父親の顔色を窺って過ごしていた。父親が帰宅すると、子どもたちも祖父母も、一目散に自分たちの部屋に退散するほど、父親を避けていた。

そんな両親のもと、白柳さんは真面目でしっかりした子どもに成長した。

「学業も運動も人並み以上にできていましたが、95点を取る程度では『そんなところを間違っているようじゃダメ』。町内の運動会で1位を取っても、『その程度で喜んでいたらダメ』と言って、母から褒められたことはありません。私よりも下の成績の子が親に褒められていることを知り、とても羨ましく感じました」

家に帰れば、「この険悪な雰囲気のある家族をどうにかしなきゃ」という責任感のような思いから、常に家族の空気を読み、極力誰も傷つかないように立ち回った。

何度か父親や祖母から母親を庇ったが、その度に当の母親から責められることを繰り返しているうちに、「私は報われないし誰も救われない。私は誰も救えない」と考えるように。年齢を重ねる毎に自己肯定感が低くなっていった。