現在30代女性が育った家庭はいつも険悪な雰囲気だった。母親は姑からいじめられ、そのストレスを幼い娘に向けた。「あなたの鼻の形はおばあちゃん譲り」。娘は今も顔面コンプレックスを引きずっている。父親はパワハラ体質があり、帰宅すると家族は一目散に部屋に引っ込んだ。自己肯定感が下がった娘は高校時代、三者面談後に「死にたい」とSOSを発信したが母親はろくに受け止めようとしなかった――。(前編/全2回)
ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

笑わない母親

中部地方在住の白柳幸美さん(仮名・30代)は、公務員の父親と教育関係の仕事をする母親が25歳の時に、長女として生まれた。白柳さんが生まれた2年後には、弟が生まれた。

「両親の出会いは24歳のとき、友人の紹介だったようです。私が4歳になるくらいまでは両親にも笑顔が見られたような気がしますが、4歳の時に父の両親と同居を始めてからは、いつでも母が辛い顔かイライラしている顔をしていたように思います」

父方の祖父母の家を建て替えることになったとき、父親が「それならお金は出すから一緒に住もう」と提案したため、同居することになったのだ。

ドアのところで肩をいからせ仁王立ちする男性
写真=iStock.com/Cunaplus_M.Faba
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いざ同居が始まると、祖母は子どもの頃の白柳さんから見ても、母親に意地悪をしていた。不憫に思った白柳さんが、

「お母さんは悪くない! お祖母ちゃんはなんでそんなことを言うの?」

と母親を庇ったことがあるが、

「やめて! 余計なことしないで!」

と母親に言われてしまったのがショックだった。幼い白柳さんは、どうしたらいいかわからなくなった。

母親は、祖母に虐められたストレスを、明らかに子どもたちにぶつけた。

「次第に、『私が余計な手出しをせず我慢していれば、母にとっては一番いいんだ』という考えが染み付いていきました。祖母に虐められていても父も祖父も母を庇うことも祖母を注意することもありません。母は母で、公務員という職業が大好きなので、子どもの私から見ても、『父が公務員だから職業で結婚を決めたのでは?』と思うほど、両親の間に温かい繋がりが見えませんでした」