「自分らしさ」という残された資源

第5テーマ「仕事論」では、仕事が辛い、つまらないのは「心」の問題だという啓発書の主張を紹介しました。私はそれについては大いに疑問を持つのですが、今回の対象書籍において、女性の生き方は「心」の問題だ、となることについては、当然そうなるだろうなと思うところがあります。

私がそう思うのは、たとえば不安や迷い、焦りの一つの根源である結婚について、次のように論じられているためです。

「結婚した女が勝ち組とか、結婚していない女は負け組とか、世間ではそんなことが話題になっています。でも本当に結婚で、女の勝ち負けが計れるものでしょうか? 20代のうちに、と焦って結婚したものの、ベストパートナーとはいえない相手と一生をともにしなければならないとしたら、それでも果して“勝ち”といえるのでしょうか」(小倉・神宮寺、129p)

先に見たように、結婚は焦りの一つの根源だったわけですが、かといって結婚したことで問題は解決できないというのです。どういうことでしょうか。

つい最近まで、日本人にとって結婚とは、「しなければならない」ものでした。「生涯未婚率」(「45~49歳」と「50~54歳」における未婚率の平均値から、「50歳時」の未婚率を算出したもの)という値があるのですが、これは男性が1990年に、女性が1995年になって初めて5%を越えました(「国勢調査」)。これが2010年の時点では男性20.1%、女性10.6%にまで上昇しています(国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集(2012)』)。

こうした未婚化(あるいは省略しましたが晩婚化)傾向は、社会学者の妙木忍さんの表現を使えば、しなければならないものとしての「婚姻規範」の緩みだといえます(『女性同士の争いはなぜ起こるのか――主婦論争の誕生と終焉』)。妙木さんは「婚姻規範」と「出産規範」と合わせて「ライフコース規範」と呼んでいますが(28p)、これらが全体として緩んでいるのが今日なのです。つまり、結婚や出産といったライフコース・イベントは行うべきなのか、またいつどのように行うべきか、あるいは職業生活や私生活はどう過ごすべきかといった事柄について、「みんなそうやっているんだから」という基準が判然としなくなった――でも全くなくなったわけではないので不安や焦りが生じる――というのが現代の状況なのです。

恋愛、結婚、仕事などをめぐる不安、迷い、焦りはこうした状況で生じるわけですが、概して男性においては、良くも悪くも、仕事を人生の軸として立てて不安をやり過ごすことができる部分があるように思います。しかし女性の場合、恋愛、結婚、仕事、あるいは出産、私生活、人間関係といった事柄それぞれについて、どれを軸にするのか、それぞれについてどう選択するのかという余地が、良くも悪くも広く与えられています。何を軸にしても、どう選択しても、「別でありえたかもしれない自分」への思いが、男性よりも多く残されるのです。これは当然、そういう各性別の心理的メカニズムの話ではなく、各性別が置かれている社会状況についての話です。

このとき、結婚したから、出産したから、仕事で頑張っているからといった「状況」によって、その思いを埋め合わせることはできません。なぜなら、その状況に置かれていること自体が、「別でもありえたかもしれない自分」への思いが湧き出る源泉となっているのですから。

自らの置かれている状況によって安心が得られないのであれば、残された選択肢は一つ。それが、「心」、あるいは「自分らしさ」なのです。高梨美雨さんの『28歳から「あなたの居場所」が見つかる本』では、ここまで述べてきたようなことが、「自分の居場所」という言葉で表現されています。「ごくふつうの主婦だって、あるいはアルバイトの女の子だって」(17p)、「自分が望む自分でいられる、そんな場所」(20p)を自分の考え方次第で得ることができる。そうすれば、どんなライフコースを選んでも、どんな状況に置かれても、「あなたが本心から望むような、あなたらしい幸せ」(7p)を得ることができるというのです。より端的には、次のような例も挙げられています。

「世の中には、ずっと“二号さん”であっても幸せな女性がいます。かたや男性がいなくても、とても輝いている独身女性もいる。すすめはしませんが、コールガールとして幸せな生涯を送った人もいます。なぜ幸せだったかといえば、それぞれ異なった『自分自身の幸せの形』を実現したからなのです」(83p)

どんな状況にあっても、それは自然に自らを充たしてはくれない。「自分自身の幸せの形」を見つけることのみが、自分が幸せになるただ一つの道なのだ。そしてそれは「誰かに与えてもらう夢」ではなく、自分自身の内から発見しなければならない。多様な選択肢に開かれている現代の女性の生き方において、「別でもありえたかもしれない自分」への思いを鎮めることのできる唯一残された資源、それが「自分らしさ」なのだと考えられます。