40代で“肩たたき役”を経験

山里さんを最初に取材したのは、2008年。業界再編の波で大型合併が相次いだ製薬会社の当時41歳の人事部の課長として、社員のリストラについて話を聞いたのだ。会社広報部を通した正式な取材申し込みでは実現することが不可能で、さまざまな方法でアプローチ、交渉を重ねた末、匿名で社名を伏せることを条件に、たどり着いたのが山里さんだった。

複数の会社が経営統合によってひとつの会社になる合併については、業界の事情や今後のゆくえなどについての報道はなされていたが、労働者目線に立ってそれぞれの会社の社員がどのような苦難を経験しているのか、ましてやリストラを担当する社員の心中を知る機会は皆無だった。そうした状況を認識して疑問視したうえで、山里さんは実態を明らかにすることで、合併でやむなく退職することになった人たちを後方から支援したいと考えたのではないだろうか。

勇気を出して取材に協力してくれた彼に感謝の意を伝えると、やや大振りのジェスチャーを交えて表情豊かに、「僕でお役に立てることがあれば、何でもお話ししますよ」と応えてくれた。あの時、心動かされた記憶が鮮やかによみがえる。

「家族のことまで考えると、本当にやりきれない」

企業合併は、経営陣にとっては多少の困難はありつつ、企業存続と事業発展のための前向きな選択ではあっても、労働者にとっては大きな痛みを伴うものだ。そのあたりを山里さんは十分に理解したうえで、社員のリストラを実行する役目を担う苦悩についても、包み隠さず話してくれた。

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「会社が決めたことに、社員は逆らえません。ただ、経営陣は社員の行く末をもう少し手厚く支援するべきだと思いますね。1997年に自主廃業した山一證券の野澤社長(当時)が『私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから。どうか社員の皆さんを応援してやってください』と記者会見で涙ながらに訴えた言葉が脳裏に焼きついています。

待遇は悪くなっても関連会社への転職まで斡旋あっせんできたケースは良いほうで、希望退職を募ったり、退職勧奨まで行ったりと……過去に共に仕事をした社員もいますし、彼らの家族のことまで考えると、本当にやりきれない。リストラの対象になった社員の皆さんには残りのキャリア人生を何とか頑張ってもらいたいと、ただ願うばかりです」

そう一気に話すと、数秒、天井を見上げた。