親王でも「本当にぎりぎりの生活」
皇位継承者が傍系皇族の王だったら何が問題なのか。簡潔にいえば、未来の天皇を育てるという使命の重大さに比して、歳費が少ないことである。
よほどのことがない限り、能力ではなくただ血筋によって地位を継承するのが世襲制というシステムではあるが、それでも日本国の代表者として各国の要人と交際される可能性が一定程度ある高位皇族には、できるだけ高等な「帝王学」を受けていただくこと、さらには国内のご視察なども早くからしていただくことが望ましい。
そう考えた時、気にかかるのが三笠宮家の故寛仁親王がかつて次のようにおっしゃったことだ。
親王の10分の7の歳費しか出ない王はもっと深刻
親王の身位をお持ちの皇族であっても、歳費のみではかなり苦しい生活を強いられそうだというのである。皇族方は医療保険にお入りになっていないので、ご病気になられた時の出費もかなり痛いそうだ。
その親王の「十分の七に相当する額(※皇室経済法第6条)」しか歳費を受けられない王ならば、よりいっそう苦しい生活を余儀なくされるであろうことは想像に難くない。親王家にとってすら負担になりそうな帝王学などのための出費は、王家にとってはかなり酷なものになるはずだ。
そもそも親王と王で歳費額に差が設けられているのはなぜか。これについては、敗戦からまだ日が浅い昭和21(1946)年12月12日、衆議院での皇室典範案委員会において、憲法担当国務大臣の金森徳次郎が次のように説明している。
おそらく誰もが想像した通りの理由だろうが、親王の歳費を多くしてあるのは皇位継承の可能性がより高いからだという。即位の可能性が高い方にはより高い品位が備わることが望ましいので、多額の投資をしておこうという趣旨であろう。