人間関係の悩みを一気に解消する

アドラーが否定するもうひとつの常識は、「人間は“たくさんの種類”の悩みを抱えている」という考えだ。勉強が苦手、自分のキャリアプランが見えない、人生に意味はあるのか……私たちの悩みは千差万別なはずだが、アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言する。さらに、対人関係の悩みが生まれる理由は極めてシンプルだとまで言う。キーワードは、「課題の分離」だ。

親子関係を例に見てみよう。勉強したがらない子どもの親は、塾に通わせたり、家庭教師を雇ったり、「宿題するまで夜ご飯なし」とルールを決めたりして、無理やり子どもを勉強させようとする。それが親の責務というものだ、と多くの親は言うだろう。

一方で、アドラーはこう考える。子どもが勉強するかしないかは、あくまでも子どもの課題であって、親の課題ではない。なぜなら、「勉強する/しない」という選択をした結果、「成績が良くなる/悪くなる」といった結末を最終的に引き受けるのは、親ではなく子ども自身だからだ。よって、親は子どもを見守り最大限の援助をすべきだが、強制的に勉強を命じるのは、子どもの課題に対して親が強制介入していることにほかならない。ある国のことわざに、「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」というものがある。呑みたくない水を無理に呑まされたら、子どもが反発するのも無理はない。

他者の課題には介入せず、自分の課題には介入させない

あらゆる対人関係の悩みは、あなたが他者の課題に土足で踏み込むこと、そして、他者があなたの課題に土足で踏み込んでくることによって引き起こされる。よって、私たちはまず、「これは誰の課題なのか?」を考え、自分と他者の課題を冷静に分離しなければならない。そして、「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」ことを実践するのがよい。そうすれば、対人関係の悩み、つまり、あなたが抱えるすべての悩みは、一気に解消する。

「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」という生き方は、「自分のことはすべて自分で決める」という姿勢を意味する。とはいえ「ちょっとぐらい他者が自分の課題へ介入してくれたほうが助かる」と内心感じる人は多いはずだ。多かれ少なかれ不満は生まれるにせよ、子どもは親が敷いてくれたレールの上を歩いていれば人生に迷わなくて済むし、他者からの期待に応えることに注力していれば、承認欲求が満たされ、誰からも嫌われずに生きていける。

他者から嫌われることで、あなたは「幸せ」になれる

しかし、本当にそうだろうか、とアドラーは問いかける。誰からも嫌われないためには、常に他者の顔色をうかがい、その意向に沿うよう行動しないといけない。その結果どうなるか。全員にいい顔をして、できないことまで「できる」と約束すれば、矛盾が生じ、嘘が発覚して、信用を失い、人生がより苦しくなる。他者から嫌われないように生きることは、自分自身にも周囲の人々にも嘘をつき続けることだ。そんな人生は、不自由だ。

他者から嫌われることを恐れてはいけない。たしかに嫌われたくないと願うのは、人間にとって普遍的な欲望であることは間違いない。しかし、本能や衝動のおもむくままに生きる人生は、自然法則に逆らえず坂道を転がり落ちる石と一緒だ。

「嫌われる勇気」を持とう。他者から嫌われること。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証拠なのだ。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。

(構成=奥地維也 撮影=市来朋久 写真=ullstein bild/時事通信フォト)
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