なぜ人は孤独を感じるのか。哲学者の岸見一郎さんは「一人でいるか、大勢の人の中にいるか、という外的な条件は関係ない。他者との結びつきをどう捉えているかが問題で、孤独感から逃れるために誰かと一緒にいたがるような人は、かえって孤独になる」という――。

※本稿は、岸見一郎『数えないで生きる』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

一人で都会の夜景を眺めている女性
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一人暮らしが必ず孤独を感じるわけではない

三木清は、孤独そのものと孤独の条件とを区別して、次のようにいっている。

「孤独が恐しいのは、孤独そのもののためでなく、むしろ孤独の条件によってである。あたかも、死が恐しいのは、死そのもののためではなく、むしろ死の条件によってであるのと同じである」(『人生論ノート』)

また、三木は次のようにもいっている。

「孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの条件に過ぎず、しかもその外的な条件である」(前掲書)

一人でいるからといって、独居しているからといって、誰もが必ずいつでも孤独を感じるわけではない。一人でいることは、誰にとっても孤独を恐れる条件ではないのである。

哲学者「孤独は山になく街にある」

それどころか、三木はむしろ大勢の人間の「間」にこそ孤独はあるといっている。

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」(前掲書)

「孤独は山になく街にある」という時の「山」というのは一人でいる状態、「街」というのは人と人との間で生きている状態のことを指している。

大勢の人間の中で孤独を感じることなどないと思う人もいるかもしれないが、「孤独は山になく街にある」という三木の言葉に共感できる人も多いのではないだろうか。

なぜ孤独は大勢の人の間にあるのか。次のことを考えなければならない。

まず、もしも人がこの世界にただ一人で生きているのであれば、孤独を感じることもないということである。他者が存在し、その他者と結びついていることが人の基本的なあり方なので、人との結びつきから外れると孤独を感じるのである。