親は子にどう接するべきか。哲学者の岸見一郎さんは「子どもに『頭がいい子』『かわいい』といった属性を与えてはいけない。こうした言葉は子どもにとって命令に等しく、親の理想と現実との乖離が親子関係に悪影響を与える」という――。

※本稿は、岸見一郎『数えないで生きる』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

男の子の頭をなでて褒める両親
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祖父が私に与えた「頭がいい子」という属性

私の祖父は、私が子どもの頃、「お前は頭がいい子だ」と口癖のようにいっていた。こんなふうにいわれて嬉しくなかったはずはないのだが、この言葉が私の人生に少なからず波紋を呼ぶことになった。

「お前は頭がいい子だ」という時の「頭がいい子」というのは、「属性」である。

属性とは「事物や人の有する特徴・性質」という意味である。「あの花は美しい」という時の「美しい」が属性(花に属している性質)である。人についていえば、容姿や学歴などが属性である。

精神科医のR・D・レインは、自分や世界についての意味づけや解釈について、この「属性化」あるいは「属性付与」(attribution)という言葉を使って説明している(R.D.Laing, Self and Others)。

「お前は頭がいい子どもだ」というのは、祖父が私に与えた属性であり、私に「頭がいい子ども」という属性を付与した。それだけなら問題ないのだが、この属性が「その人を限定し、ある特定の境地に置く」とレインはいう。これはどういう意味なのか。

親が子どもに行う属性付与は「命令」に等しい

同じ花でも美しいと見る人もあれば、そうでないと見る人もあるように、人についての属性付与も人によって異なる。

祖父の属性付与は私自身も同意できたら、嬉しかっただろう。もっとも、私には祖父が私に与えた「頭がいい」という属性の意味がわかっていなかっただろう。

属性付与が問題になるのは、他者が自分についていう属性と自分が自分に与える属性が一致しないので受け入れることができない時である。

属性付与が一致せず、自分がそれを受け入れられないだけならまだしも、さらに大きな問題がある。

一般的にいえば、AがBについてなす属性付与と、Bが自分についてなす属性付与は、一致していることもあれば、一致していないこともある。Bが子どもであれば、大人(親)が子どもに行う属性付与を、多くの場合、子どもは否定することは難しい。そのような場合、属性付与は、事実上、命令に等しい。