理想と現実が離れるほどイライラする

子どもは親の期待を満たすべく一生懸命勉強するかもしれないが、親が子どもに課する理想のハードルが高くなると、少しくらい成績がよくても親は満足できなくなる。親の理想はいよいよ高くなり、その理想から現実の子どもを引き算して見る。子どもが親の理想から大きく乖離かいりすると、子どもを叱り、叱らなくてもイライラすることが増えてくる。

このような現状を変えるためにはどうすればいいか。まず、子どもの方は親の期待を満たすために生きなければならないわけではないのだから、親が怒っても失望しても、放っておけばいい。

親の期待通りにいい成績を取れなくても、そのような子どもがいい成績を取れる子どもよりも価値が劣っていることにはならない。

親の属性付与は多くの場合世間の価値観に従っているのだが、その価値観が正しいとは限らない。有名大学に進学し、有名企業に就職する人が優秀であることの証であると疑わない人が多いというだけのことである。

「この子のことは理解できない」が正しい理解

次に、親は子どもへの属性付与をやめなければならない。親の属性付与は親の子どもについての評価でしかない。「お前は頭がいい子だ」という祖父の私についての属性付与は、祖父が私をそのように評価したということにすぎない。評価は人の価値や本質とは関係ないのであり、その評価が誤っていることは多い。親の理想を子どもに当てはめようとしているだけで、現実の子どもを見ていないからである。

岸見一郎『数えないで生きる』(扶桑社新書)
岸見一郎『数えないで生きる』(扶桑社新書)

属性付与、属性化では人を理解できないということも知っていなければならない。「理解する」はフランス語ではcomprendreという。これは「含む」とか「包摂する」という意味だが、人も世界も属性付与によっては包摂できない。必ず包摂できないところがある。人は必ず理解を超えるのである。

それゆえ、親も含め他者が自分について一面的な、あるいは恣意しい的な包摂をしようとした時、それに自分を合わせようとする必要はない。他者は自分について属性で評価しようとするが、正しく評価されないとしてもその人が期待する属性を自分が持っていないということにすぎない。

親がこの子のことはまったく理解できないと思ったとしたら、それは正しく子どもを理解しているといえる。

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