予備知識があれば作品鑑賞の筋道を立てられる
とはいえ、解説なしでポンと美術作品が置いてあっても、たいていの人がポカンとしてしまう気持ちも分かります(現代アートは特に)。そして「あぁ、私は芸術が分からないんだわ」となかば自分に自信をなくして帰る、なんてことになったら、それは悲しいですよね。
作品にどこまで解説を付けるかという問題は、はたして作品鑑賞には美術に関する知識が必要なのかという問題にもつながります。
知識はたしかに役に立ちます。例えば美術館に飾ってある1枚の絵を見た時に、ある程度、予備知識や周辺情報を知っている人は、その作者が他にどういった絵を描いているかを頭の中に思い浮かべ、「あの絵と違って、ずいぶん冒険したんだな」とか「このモチーフは他の絵とも共通するから、作者にとって大事な意味があるんだな」とか、自分なりに鑑賞の筋道をつくることができます。
さらに、その作者だけでなく周辺作家(同じグループ、同じ流派、同じ時代など)についての知識や、その絵が描かれた頃の国の歴史、風俗、習慣など、知識があればあるほど、多角的にその絵を見ることができ、いろいろな発見をするでしょう。
どの程度解説すべきか、正解は存在しない
逆に、予備知識がゼロだった場合、1枚の絵と向き合っても「あぁ、人が描いてある」「花が描いてある」とか見たままの感想しか出てこなくて、「やっぱり感性がないと、芸術を楽しむのは無理なんだな」と肩を落とすことになります。つまり知識のあるなしは、鑑賞が楽しめるかどうかに直結すると言っても過言ではありません。
そこで学芸員としては、展示を誰の目線に合わせるかに頭を悩ませるわけです。
当たり前ですが、美術館は誰が来てもいい場所です。美術の素養がある人じゃないとだめ、なんてことはありません。せっかく来てもらったからには、どんな人にも何かを感じて帰ってもらいたいな、と願うわけです。作品と向き合った時に何かしら、その人なりの「発見」をしてほしい。「よく分からなかった」で終わったらもったいないじゃないですか。
そこで、全く知識がない人向けに解説を付けるわけですが、そうすると解説文をまず読んでから答え合わせのように作品を見る人が増える、という最初の悩みに戻ることになります。
全体的な傾向としては、かみ砕いた解説があった方が、お客さんの満足度は高いようなのですが、うーむ……。こんなことをウダウダ考えながら、展覧会ごとにいろいろな試みをして、お客さんの反応を観察して次に活かす、その繰り返しですね。