発達段階を逆行する「赤ちゃん化」が起きる

認知症をポジティブにとらえるべき理由はほかにもあります。脳の仕組みのおかげで、認知症が本人の主観的幸福度に悪影響を与えることはあまりありません。認知症特有の不安を感じることもありますが、適切なケアを受け、周囲の人たちに理解のある対応をしてもらえれば、最後まで幸せを感じながら生きていくことができます。アルツハイマー型認知症になった本人が幸せと感じることができる理由を3つご紹介しましょう。

1つめは「合理化」です。脳には自分の言動を正当化する「合理化」というメカニズムがあり、認知症になってもこの機能は働きます。目の前の状況を自分に都合よく解釈するのです。この機能のおかげで、何か大きな失敗をしても自分を正当化します。「自分のせい」と落ち込むことはありませんから、本人にとっては幸せなことです。特に、自分の認知能力の低下を自覚していない場合にこの傾向が強くなります。

幸せになれる理由の2つめは「利他行為」です。私たちは人の役に立つことをすると脳でドーパミンという神経伝達物質が放出され、喜びを感じます。認知症になってもこの仕組みは変わりません。

鎌倉市のデイサービス「ケアサロンさくら」では、認知症の利用者が公園に行って掃除をしたり、近所のお宅で庭の草取りをするなどして活動資金をもらっています。デイサービスの利用者による戸外での活動や有償ボランティアが厚生労働省によって2018年に認められてから、このような取り組みは各地で少しずつ始まっています。認知症の人であっても、一定の役割を担って周囲に貢献することはできます。他人の役に立って感謝されることは、本人にとって大きな喜びとなり、生きがいが生まれます。

3つめは「赤ちゃん化」です。アルツハイマー型認知症が進行していく過程では、小児の発達段階を逆行します。

赤ちゃんの脳は、見る、聴く、体を動かすといった、いわば原始的な機能にかかわる部分から先に発達していきます。「自分がこんなことをしたら、あの人はどう思うだろうか」というように他人の思惑を想像できるようになることを「第三者視点の獲得」といいますが、このような高度な認知が可能になるのは生まれてからずっと後、4~9歳ごろのことです。そして認知症になると、後から発達した部分から順に機能が失われていくことがわかっています。

初期の段階でできなくなることは、複雑な手順の作業や金銭管理です。さらに、他人の顔色を窺ったり、嫌われないかどうかを気にして言動に気を配ったりすることもできなくなっていきます。しかし、これはむしろ幸せなことといえるかもしれません。認知症の人は素直に、ストレートに意思表示をします。楽しいときは楽しそうな顔を、つまらないときはつまらなさそうな顔をしていますが、それでいいのです。

赤ちゃんは一人では何もできませんが、愛情のこもったケアをしてくれる人がいれば幸せでしょう。認知症の人も赤ちゃんと同じです。「認知症になったら何もできなくてみじめ」というのは健常者の思い込みにすぎません。