夫婦における「愛」その幻想の正体は何か

夫婦関係に不安があって、お別れする決断をした人もいるでしょう。その選択肢はもちろんありだと思います。たとえお別れしても、その人と関わった月日が全部無駄だったわけではないですよね。毎日の暮らしの中で、楽しかったことも苦しかったことも、いろいろなものを見たと思います。熟年離婚をしても、私の人生は失敗だったとか、俺の人生は空っぽだとかって自責の念を持たないでほしい。十分に得たものがあったはずです。

たぶん、私も含めて、繰り返し刷り込まれてきた「愛情」という言葉の意味を考え直すところから行わないといけない。愛は苦しいもの、愛は凄まじいもの。愛は、甘くて美しくて幸せいっぱいな目指すべき理想郷ではなくて、苦しいとか、しんどいとか、許せないとか、寂しいとか、悲しいとか、さまざまな負の感情とされるものを必ず味わう滋味深い修羅道です。人と関わるというのは、そういうことですから。

私も、シンデレラの亡霊が心のなかにいますから、こんな辛い目に遭わされた相手と関わってしまった自分の結婚は失敗だったのだと後悔したことは何度もあります。でもそうではない夫婦が一体どれほどあるでしょうか。そしてそういう経験は果たして「失敗」なのでしょうか。

愛という言葉のイメージに惑わされないことも大事。「私とあなたの間にあるもの、これは愛なの? 愛じゃないの?」ではないのです。「自分が愛だと思っているものは、本当は何なのだろう。愛という言葉の解釈は、これで合っているの? 間違っているの?」から始める。そもそも愛なんて言葉にならないものだし、そのイメージは、昔見たトレンディードラマとか、結婚式のスピーチとか、いろいろなところで繰り返し学習した幻想です。だからその幻想の正体を可能な限り言語化して可視化する、つまり頭の中で客観的に扱えるようにすることから始めるのがいいのではないでしょうか。

また、相手への不満を頭の中で具体的に言葉にしてみることが大事だと思います。自己分析ですね。モヤモヤや衝動をなるべく細かく分解して、構造を眺めてみる。それを相手に伝えるかどうかはまた別の問題で、まずは自分で言語化することで、問題点が整理されるのです。とるべき行動の選択肢もいくつか見えてきます。

最近私は、単身者用のワンルームマンションから、夫婦2人向けの物件を探して引っ越しました。実はつい先週まで、この広くない居住空間に夫がいて、大きなくしゃみでもされたら耐えられないのではないかしらと、不安になることもありました。

その思いにちょっとした変化が起きたのは、先日ヘトヘトになって深夜に帰りついた東京のマンションで、ゴミ捨てのために乗ったエレベーターでのこと。同年代のご夫婦と一緒になったのです。エレベーターの「開く」ボタンを押してもらいながら、私にも夫がいるんだよなと、ふと思いました。一緒にゴミを捨てに行ける人がいるって、いいものだなと素直に思えたのです。

ただいまって言えるとか、美味しいものを一緒に食べるとか……過去の痛みも抱えつつ、小さな喜びをシェアする関係。悪くないなと、そんなことを実感を持って思えるようになりました。とはいえここ1週間のことです。なりたてのほやほやですね。

夫はこんどの冬には、帰ってくる予定です。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。

(構成=福光 恵 図版作成=大橋昭一)
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