キャリア・ウーマンもおちょくるスタンス

『ビックリハウス』が提示した、小市民、ささやか、女らしい、意識が高いという主婦像は、1970~80年代の日本社会における主婦像と重なる部分もある。

富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)

1970年代には母子関係の絆を強調する言説が展開され、「母は家庭で子育て」という規範が高まる一方で、1980年代の「新しい社会運動」の主要な担い手には主婦がおり、誌面でも取り上げられたような、新聞の投稿欄に問題提起をする女性たちの投稿が数多く寄せられた。【*13】

ここから『ビックリハウス』の編集者たちは、女性の自立を支持しつつも、主婦という存在をステレオタイプ化し距離をとったと考えられるが、かといって働く女性、「キャリア・ウーマン」に共感を寄せるわけでもないのが興味深いところだ。

『ビックリハウス』の女性編集者たちは、自らを他の女性誌に出現する女性のように「キャリア・ウーマン時代」【*14】を象徴する存在とは捉えず、「キャリア・ウーマン」や「翔んでる女」といった、女性の経済的・職業的自立を象徴する呼称【*15】をあえておちょくる。

写真=iStock.com/gyro
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独身女性同士の距離感

例えば彼女たちのキャリア・ウーマンに関する記事を見てみると、「キャリア・ウーマンこそ我が青春のプロレス!」【*16】「男のかわり身の早さについては、よっく分かるのよね。なにしろ私、経験の豊富なキャリア・ウーマンムキンポ女だから[「ムキンポ」は、読者投稿コーナー「全国流行語振興会」を通じて創作されたビックリハウス誌上の造語。特定の意味はなく、間投詞のように使われることが多い]【*17】「今、セックス自由に楽しめんのが翔んでる女だとか、キャリアウーマンがどうしたこうしたって、世の中ギャーギャーもりあがってる」【*18】と、同じ独身女性という立場ではあっても、やや茶化すような、遠目に見るような態度が垣間見える。【*19】


*1 『ビックリハウス』1980年9月号、18頁。
*2 同様の主張が見られる記事として『ビックリハウス』1980年6月号、9月号などがある。
*3 『ビックリハウス』1978年7月号、1983年11月号、1981年11月号、1983年12月号。
*4 『ビックリハウス』1982年12月号、1983年12月号、1984年12月号「ビックリハウスレポート」、1981年6月号。
*5 『ビックリハウス』1979年8月号、1981年6月号、1980年11月号、1980年8月号、4月号。
*6 『ビックリハウス』1979年4月号、1981年6月号。
*7 『ビックリハウス』1980年10月号、11月号、1984年4月号。
*8 『ビックリハウス』1981年6月号、106頁。
*9 『ビックリハウス』1980年4月号、63頁。
*10 『ビックリハウス』1983年11月号、10頁。
*11 同様の主張が見られる記事として、『ビックリハウス』1983年12月号など。
*12 『ビックリハウス』内のコーナー「メディア・ジャック」は「TV、ラジオ、あらゆるメディアでみつけた面白ニュースや記事、ちょっと気になる情報」を、「どこが面白かったのかのコメント」(同誌1983年4月号、142頁)とともに読者が投稿するコーナーである。そのため「メディア・ジャック」に書けるコメントのコンセプトそのものは読者によるが、コメントは無記名であるため投稿者による作文か編集者が文章化したものかは厳密には判別できないが、本文中の引用部については読者・編集者双方の「主婦」イメージが反映されたコメントとして捉えることはできるだろう。
*13 天野正子「問われる性役割 『自己決定』権の確立に向けて」朝尾直弘ほか編『岩波講座 日本通史 第21巻 現代2』岩波書店、1995年、200–212頁。
*14 『ビックリハウス』1979年4月号。
*15 江原由美子「フェミニズムの70年代と80年代」江原由美子編『フェミニズム論争 70年代から90年代へ』勁草書房、1990年。斎藤美奈子『モダンガール論』文藝春秋、2003年。池松玲子「雑誌『クロワッサン』が描いた〈女性の自立〉と読者の意識」」『国際ジェンダー学会誌』第11号、2013年。
*16 『ビックリハウス』1981年10月号、146頁。
*17 『ビックリハウス』1978年11月号、117頁。
*18 『ビックリハウス』1979年7月号、98頁。
*19 『ビックリハウス』1980年12月号など。

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