家庭的な安心感や空気が「昭和」にはあった

私が新聞社に入ったのは、昭和終わりごろの1988年。入社翌年の1月に昭和天皇が崩御されたので2年目から平成です。とはいえ、まだ昭和のにおいが色濃く残っていて、バブル期ごろまでは昭和的な文化や価値観は維持されていたように思います。

佐々木俊尚氏
佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
ジャーナリスト、評論家

テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆している。『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。

昭和を今振り返ると、悪い面ばかり思い浮かびます(苦笑)。たとえば、差別や人権侵害のような行為はごく当たり前にありました。

平成になると景気が悪くなり、就職氷河期もあって、会社が個人を守ってくれない、いわゆる自己責任論の重圧が強くなっていきます。自分一人で生き延びるしかないという空気が蔓延し、自己啓発本が売れ、「頑張ってホリエモンのようになろう」というような機運が高まりました。

一方で、昭和に立ち戻るとそういった殺伐とした空気はなく、会社という集団の中にいれば、誰かが見守ってくれている安心感がありました。家族的な組織の中で、みんなで助け合って生きていく雰囲気があったのです。

こんな思い出があります。新聞記者の世界は弱肉強食で、手柄の奪い合いが日常茶飯事。入社して数年目に、私も例にもれず先輩記者に横取りされたのです。「なんだよ」と思っていたら、上司や別の先輩が寄ってきて、私の肩を叩き「佐々木、ちゃんと見ているから」と声をかけてくれたんです。黙々と仕事をしていれば、誰かが見てくれている、そういう温かさと心理的な安心感が、昭和にはあったんですね。

「ハマちゃん」のような縁の下の力持ちが消えた

ではなぜ、昭和にはそんな余裕があったのか。それは終身雇用制で立場が保障されていたからです。2000年ごろからグローバリゼーションの波が到来し、年功序列はもう駄目だ、成果主義を導入しようとなり、その結果、チームで仕事をする発想が乏しくなった。成果主義は結局、個人の成果でしかなかったんです。営業や開発など成果が見えやすい仕事は適合したけれど、総務や経理といった縁の下の力持ちの人たちが評価されなくなりました。

『釣りバカ日誌』のハマちゃんなんて、まさに昭和のサラリーマンですよね。いつものんびり仕事しているけれど、ハマちゃんがいることでチームの雰囲気が良くなったり、人の心を支えてくれたりする部分があった。昭和の労働現場などでも、一見何もしていないフラフラしている従業員がいろいろ声をかけたりして、人間関係のギスギスを解決していた。だからクビにしてはいけない不文律があったりしたそうです。

ところがハマちゃんのような人が評価されなくなり、それどころかコストカットでリストラされていきました。2000年代に評価されたのは、とにかくコストを減らして、見た目の数字をよく見せた経営者でした。そういう人たちが何かを生み出したのかといえば、新しいものは何も生んでおらず、潜在的な成長には寄与していない。こうした背景が21世紀の日本の低迷の原因の一つだったように思えるのです。