「女性の性の解放」を昭和のサブカル誌はどのように描いてきたか。立命館大学准教授の富永京子さんは「『ビックリハウス』の女性編集者や読者たちは、他誌のように身体に関する語りをかなりあけすけに行ったものの、それが政治的・社会的な意味での『性の解放』に至らなかった」という――。

※本稿は、富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)の一部を再編集したものです。

ローラースケートを履き、ディスコサウンドに乗って踊るカップル=1980(昭和55)年4月20日、東京・代々木公園
写真提供=共同通信社
ローラースケートを履き、ディスコサウンドに乗って踊るカップル=1980年4月20日、東京・代々木公園

『ビックリハウス』の性の語り

では、貞淑でつつましやかな主婦からはもちろんのこと、キャリア・ウーマンの表象からも距離をとる女性編集者たちは「性の解放」についてどのように捉えていたのだろうか。

彼女たち自身の「性」の語りは、彼女たちが「キャリア・ウーマン」と捉える人々の語りと何が異なるのか、本項では他誌の「性の語り」と比較する形で明らかにする。以下は、新コーナーのタイトルについて編集者間で議論が行われた経緯を記録した記事である。

この『〜日記』のパターンは、女性スタッフの異常なコーフンを呼び、一瞬、編集部内は騒然となった。『アンネの日記』‼ 『生理の日記』‼ 『アンネ・メモ』『ニーナの日記』『ドバドバ日記』『キャリア・ウーマン日記』『オギノ式日記』――もう完全なヒステリィ状態で、私はいっそのこと『ドバドバ日記』とネーミングし、女性スタッフ陣の基礎体温と生理日などを毎月、発表していこうかと思うのであった。
(『ビックリハウス』1982年1月号、92頁)

誌面における身体部位の頻出語

この記事では「キャリア・ウーマン」という個の解放をあらわす言葉と、「ヒステリィ」「生理」といった、身体にまつわる性の解放(と言えるかどうかわからないが)の言葉が並んでいる。

この両者の混在自体は他のメディアでも見られるものであり、ウーマンリブの提示した「自立した女」像は、当時の流行語となった「翔んでる女」言説やフリーセックスといった議論とともに言及された【*1】

江原由美子はこのような性と個の混同があったからこそ女性解放運動のメッセージが広がったとしているが、『ビックリハウス』の身体に対する言及は上記のようにかなりあけすけで、同時期の女性誌における「性の解放」を語った記事【*2】とはやや異なる様相を示す。

例えば次の表(図表1)は『ビックリハウス』の女性編集者による記事、識者のインタビューや寄稿、また読者投稿が身体のどのような部分に言及しているのかを析出したものだ。女性の美容整形を分析した谷本奈穂の研究に倣い、身体の部分に関する語句をKHCoderで抽出し、以下はその出現回数順に上位から並べた【*3】ものである。