すべては「近鉄愛」ゆえに
97年、現役プロ野球選手でありながら、映画『恋と花火と観覧車』に出演した。撮影時は28歳だったが、41歳独身で糖尿病もちの電気屋のおっさん「海老原義和」役での出演だった。後に糖尿病に苦しむことになる佐野にとっては皮肉な役回りであった。
「この頃、オフシーズンになるととんねるずのタカさん(石橋貴明)の番組に呼ばれる機会が多くて、それをきっかけに秋元康さんと知り合いになりました。で、“今度、映画を作るんだけど、出てみない?”と誘われたので出ることにしました」
現役選手が映画に出ることには賛否両論があった。しかし、この頃の佐野には「メディアに出て目立ちたい」という確たる思いがあった。自己顕示欲を満たすためではない。「近鉄のために」という思いがあったからである。
「阿波野さんがいなくなり、吉井さんがチームを去って、野茂もいなくなった。チーム成績も低迷していたので、新聞記者もほとんど姿を見せなくなった。僕としては、“近鉄はこんなにいいチームなのに、どうして注目されないんだろう?”という悔しさがありました。それでこの頃は、“オレが近鉄を背負っているんだ”と勝手に使命感を感じていましたね」
野茂英雄への懺悔
後に「ピッカリ投法」と名づけられる、自身の薄くなった頭髪をアピールするピッチングフォームで注目された。佐野にとって、仰木時代のバファローズは青春であり、プロとしての刺激を味わうことのできる至福の時期だった。
しかしその後、盟友である野茂との金銭トラブルが週刊誌を賑わせたことは記憶に新しい。野茂の好意で借りた金の返済を怠り続けたのだ。
「この件について、僕から言えることは何もないです。全面的に僕が不義理をしました……」佐野の口は重い。
「信用を取り戻すことは簡単ではないと思います。でも、きちんと誠意を持って接しているつもりです。もう一度昔の仲間とは堂々と顔を上げて会いたい。もうこれ以上、野茂も、昔の仲間も、ファンの人たちも裏切りたくない。それが今の率直な心境なんです。もしも許されるのならば、もう一度野茂と向き合って、きちんと謝罪がしたいです……」
薄くなった頭髪をネタに「ピッカリ投法」を披露していた頃とは打って変わった神妙な面持ちで佐野は言った。
……以上が2021年に行ったロングインタビューにおける佐野の発言である。それから3年が経過して、「右腕切断」というショッキングな現実の中で、彼は現在も闘病生活を続けている。