「左手一本でも必ずもう一度再現します」

「最初に言ったように、まだまだ“受け入れる”という境地には達していません。でも、僕は野球人なので、これからも野球を通じて生きていくつもりです。あのピッカリ投法も、左手一本でも必ずもう一度再現します。約束します、僕は野球人ですから」

かつて行ったインタビューでは、「近鉄愛」が、そこかしこに現れていた。その近鉄も、04年の球界再編騒動で姿を消した。かつて佐野はこんなことを言っていた。

「僕は2003年の1シーズンだけオリックスに在籍したから、余計に強く感じるんですけど、やっぱり、近鉄とオリックスは別のチームです。近鉄というチームは一度も日本一を経験することなく消滅しました。もちろん、一OBとして“近鉄として日本一になりたかった”という思いはありますけど、正直言えば、“仰木監督の下、あのメンバーで日本一になりたかった”という思いの方が強いです」

このとき、「もしも生まれ変わるとしたら、再びプロ野球選手になりたいですか?」と尋ねた。佐野は静かな口調で言った。「どうですかね、もう近鉄はないんでね……」その答えを受けて、「もしも近鉄が今も存在していたら?」と続けた。

「……近鉄が今もあれば? もちろんプロ野球選手になりたいですよ。いや、“近鉄に入りたい”というよりは、“あのメンバーで野球がしたい”という思いですね。あのときの近鉄は本当にいいチームだったから……」

プロ野球ファンにどうしても伝えたいこと

大きな手術を終えた直後であるにもかかわらず、いや、大病を経験したからこそ、佐野の胸中には「自分は野球人なのだ」という思いが色濃くにじんでいた。

闘病生活はしばらくの間続く。それでも、彼の胸の内には「野球人である」という誇りがある。二度目のインタビューの最後に、入院中の佐野はこんなことを口にした。

「野球ってね、楽しいものなんですよ……」

続く言葉を待った。

「……ファンの人からすれば、見ていて腹が立つこともたくさんあると思うんです。そのときに、一喜一憂するのは当然のことだと思うんですけど、でも最後には“今日も野球って面白かったな”って思ってほしい。そう思ってもらえることで、たとえその日失敗した選手でも、明日からまた頑張れるんです。それだけは改めて伝えたいです」

それは、自らを「野球人」と語る男の心からの思いだった。この思いがある限り、彼は決してファイティングポーズを取ることをやめない。「野球ってね、楽しいものなんですよ……」不屈の野球人――佐野慈紀の、野球に対する熱い思いはさらに燃え盛っている。

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