中継ぎ投手として初の1億円プレーヤーになった投手
入団時、バファローズを率いていたのが仰木彬だった。佐野は1年目から38試合に登板。6勝2敗2セーブという好成績を残した。仰木は佐野を評価していたのだ。
「いえいえ、“評価している”というよりは、仰木さんはすごくゲンを担ぐ人なんです。僕が挙げた6勝はほとんど逆転勝利でした。勝ち運があって、体力があるから起用されただけなんです(笑)」
このとき、佐野の能力を最大限に引き出してくれたのが女房役の光山英和である。きっかけはルーキーイヤーの91年、シーズン半ばに訪れた対ライオンズ戦だった。
「コントロールには絶対の自信があったので、開幕一軍に残れて何試合かは無難に投げていました。でも、ある日の西武戦ではいつものピッチングが全然通用しない。ほぼKO状態の一死満塁で秋山(幸二)さんを打席に迎えました……」
マウンド上の佐野は「明日からは二軍だな……」と覚悟を決めていた。と同時に「どうせ二軍に行くんなら、秋山さんと真っ向勝負したる」と考えた。
「アウトコースのスライダーという光山さんのサインに首を振って、インコースばかり投げました。全部、インコースにストレートを投げた結果、レフト線にタイムリーツーベースを打たれて、結局試合をぶち壊しました……」
名将・仰木彬から言われたひと言
ようやくライオンズの猛攻が終わり、ベンチに戻ると、光山は「何で真っ直ぐばかり投げさせるんだ」と、仰木から激しい叱責を受けることとなった。
「でも、光山さんは何も言わずに黙って怒られているんです。で、謝りに行ったんです。すると光山さんは、“えぇねん。お前、あんないいボール投げれるなら、これからはもっと投げてこいよ”って言ってくれたんです。あのときは本当に嬉しかったし、感激しました」
結局、佐野は二軍に降格することはなかった。仰木もまた「お前、ようやく思い切り投げられるようになったな」と言ってくれたのだという。
「それからは、“もう光山さんに恥をかかすわけにはいかない”って思いが強くなりました。元々、コントロールはよかったので、結果も伴っていたし、勝ち試合にも使ってもらえるようになったんです」
物事に動じることなく、ピンチの場面でも腹を括ることができ、楽天的に、そして前向きに考えることのできる佐野はプロ向きの性格だったのである。