居心地がいいチーム

佐野にとって、当時のバファローズは実に居心地がいいチームだった。

「僕はピッチャーなのでピッチャー陣といつも一緒に過ごしていました。みんな仲がよくて、壁がないんです。技術的なことに関しても、“プロならば盗んで覚えろ”ということはなく、自分の経験や情報は何でも教えてくれる。その代わりに、“そこから這い上がれるかどうかはお前次第やぞ”という雰囲気がありました。遊び過ぎたときにはきちんと“ダメなものはダメだ”と叱ってくれる。すごく居心地がいい空間でした」

しかし、佐野にとっての幸福な時代は長くは続かなかった。92年限りで仰木が退任すると、後任の鈴木啓示監督への不満が次第に大きくなっていく。

「結論から言うと、鈴木監督には完全に反発していました。鈴木体制になってから野手の雰囲気がおかしくなって、さらにピッチャー陣の調整に口出し始めてからは、“こんな野球で勝てるはずがない”って、監督を見下し始めてしまったんです」

94年開幕戦、バファローズはライオンズに敗れている。戦前には「野茂と心中する」と口にしていた鈴木監督は、先発の野茂が好投していたにもかかわらず、9回ピンチの場面で急遽、赤堀元之にスイッチした。しかし、伊東勤に逆転満塁サヨナラホームランを浴びてチームは敗れた。

藤井寺球場
藤井寺球場(写真=Gomurafuji/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons

あれだけ楽しかったチームなのに…

「あの日、チームの主砲である石井(浩郎)さんのホームランでリードしていたのに、途中で石井さんを交代させてしまった。さらに、ライトの鈴木(貴久)さんも代えてしまった。鈴木さんは打撃はもちろん、すごく守備もいいのに代える理由がわからなかった。西武との大事な開幕戦で野手の主力を次々と外し、最後には野茂まで交代してしまった。開幕早々、いきなり石井さんを潰した、鈴木さんを潰した、さらにエースの野茂も、リリーフエースの赤堀も潰してしまった。完全に選手たちの心は離れていきました」

鈴木監督時代に、かつての仲間たちは散り散りになった。95年から野茂はメジャーリーガーとなり、吉井理人はヤクルトスワローズに移籍する。気心知れた仲間たちが少しずつチームを去っていく。それでも佐野は、鈴木監督時代にキャリアハイの成績を残している。

本人が述懐する。「不信感しかなかったから反発しただけですよ……」

仰木監督時代を振り返ると「本当にいい仲間と楽しい時間だった」と語った。しかし、仰木が去った後となると「反発と不信感ばかりだった」と表情が曇る。

「先輩たちは頼りになるお兄ちゃんという感覚でした。ヤンチャな弟たちに、自由に好き勝手にやらせてくれる雰囲気がありました。でも、どんどんみんながチームを離れていく。あれだけ楽しかったチームなのに、少しも楽しくない。そんな中で、気がつけば自分たちがチームの中心選手となっていました」

それは、バファローズへの愛があふれる発言だった。