仕事を辞めたいと思ったのは、これまでたった一度

広報職で頭角を現し、30歳の時、P&Gシンガポールの戦略広報マネージャーとして海外赴任となる。社内結婚をした夫もほとんど同時期にシンガポールに異動できたので、海外生活は順調と思えた。

なにせP&Gの広報では異例とも言える1年半で、マネージャーに昇格したのだから。しかし、内実はそんな甘いものではない。

というのも帰国子女でなく、海外留学経験もなかったため、当然ながら最初は英語にかなり苦労した。しかし語学は日々の努力でなんとかなる。

どうにもならなかったのは、当時1歳だった長男の病気だった。

「何度も熱を出して入院するほど、息子は体が弱かったんです。一度、10日も熱が下がらないことがありました。私が仕事ばっかりしているから、息子がこんな目に遭うのだと自分を責め、もしこのまま熱が下がらなかったら、仕事は辞めようと決めていました。でも、そう決心したすぐ後に奇跡的に熱が下がり、快方に向かったんです」

これはきっと「仕事を辞めるな、このまま頑張れ」という、神の啓示かもしれないと下村さんは捉えた。

「それ以来どんなにツラいことがあっても、仕事を辞めたいと思ったことはありません」

人員整理と解雇通告も任務の1つに

多国籍の部下を持つリーダーになり、アジアに向けたヘアケア製品の広報、SK-IIのグローバル広報としてPR戦略を牽引した。が、それ以外に重要な仕事の一つに“人員整理と解雇通告”があり、これが随分と気が重い仕事だったという。

「アメリカの上層部から、チーム内で何人かの人員削減をするようにとお達しがくるんです。日本人以外は通告してもあっけらかんとして、逆に退職に際して条件交渉をしてくるほど前向きに捉える人も多いのですが、精神的にツラかったのは、自分と同じ文化的背景をもつ日本人社員に通告しなければならなかった時ですね……ただ、その時の社員とは今でも連絡を取り合い、お互いのキャリア相談などもできており、感謝しています」