「R5ドア」に異常はなかった

35分過ぎ、日航123便はカンパニー無線(社用無線)を使って日本航空のオペレーションセンター(通称・オペセン)に「R5ドア ブロークン(機体の右側最後部のドアが壊れた)。機内の気圧が下がっている。緊急降下中です」と連絡している。

事故直後、この「R5ドア ブロークン」の声を根拠に「右側最後部のドアが吹き飛んで垂直尾翼にぶつかり、垂直尾翼を破壊して操縦不能になった可能性がある」と報じる新聞社もあった。

しかし、墜落直後の航空事故調査委員会の事故現場検証によってこのR5ドアに異常がなかったことがすぐに判明する。

助かったのは女性4人だけ

操縦不能の日航123便の機体は東京国際空港(羽田)に戻れず、富士山の西側を飛んで山梨県大月市上空を右回りに360度旋回して山間の東京都西多摩郡奥多摩町に向かった後、群馬、長野、埼玉の3県にまたがる三国山から北北西1.4キロの地点で数本の樹木をなぎ倒し、そこから西北西に520メートル離れた稜線に接触した。

さらに機体はバラバラになりながら北西に570メートル飛行し、機首と右主翼を下に向けた姿勢で御巣鷹の尾根(1565メートル)に衝突し、そこに墜落した。

写真=共同通信社
助かったのは女性4人だけだった(山肌を焦がし散乱する日航ジャンボ機の主翼部分、1985年8月13日)

墜落した御巣鷹の尾根は高木のカラマツが林立し、その下はクマザサが厚く覆っていた。土砂崩れや落石が多く、登山道などなかった。

524人の乗員・乗客のうち520人(乗員15人、乗客505人)が亡くなった。助かったのはわずか乗客の女性4人だけだった。