乾太郎氏の長女による貴重な証言「父は恋愛至上主義者」

さらに乾太郎さんの魅力を推測する上では、長女・那珂さんのこんな発言が参考になります。

「父は会津っぽではなく、イギリス紳士型です。彼はアンドレ・モーロアの本が好きでした。お酒の席で、シューベルトの魔王をドイツ語で歌って、周りを困らせました。外国に旅行すると、美術館をめぐって楽しみました。裁判官の中には、外食などなさらない方もいらっしゃいます。しかし、父は、家族をレストランによく連れて行ってくれました」
「父は恋愛至上主義でした。私も『パパがいいなら、いいんじゃない』と言いました。父の気持ちが第一だと思いましたから」

また、引き合わせた人がいたのは事実としながらも、「しかし、結婚したのは、互いに気に入ったからです。結婚する前の年は、父へ、よく夜に電話がかかってきました。かなり親しそうでしたよ」と語っています。

様々な証言により、いかに二人がラブラブだったかが見えてきますが、前の夫・和田芳夫さんへの思いとは、違いがあったのでしょうか。

ドラマでは、寅子は社会的立場と信用を得るため、優三(仲野太賀)の結婚の申し出を承諾。その後に寅子にも恋愛感情が生まれてきましたが、実際の嘉子さんは、それとは事情が違ったようです。

実子の芳武さんは父親の和田さんに似た顔立ちだった

戦前、弁護士になったあと、嘉子さんは父親に誰か気になる人はいないのかと聞かれ、「実は、ひとり」として和田芳夫さんの名前を挙げたとのことです。何人もいた書生の中でもとりわけ気立てが良く、物静かで優しい人物だった芳夫さんに、まるで正反対な性格の嘉子さんがひそかに心を寄せていたことは両親も弟たちも全く気づいていません。そこで、交際しているのかと父に問われると、「何もありません」と答えたことで、娘の意をくんだ父が芳夫さんにそれを伝え、交際に発展したそうです(清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』)。

【参考記事】朝ドラのモデル三淵嘉子は父親に「好きな人は」と聞かれ「和田さんがいい」と答えた…実弟が見た結婚のいきさつ

当時は、親が決めた相手と結婚するか、持ち込まれた縁談相手とお見合いして結婚、あるいは男性が見初めた女性と結婚することが多かった時代。逆指名で意中の相手を射止めたことでも、嘉子さんは時代の先端を走っていたようです。

戦時中に召集されて亡くなった芳夫さん。その遺児である芳武さんは、私が対面したときの印象では、顔立ちは母の嘉子さんより、お父さん似でした。芳武さんは今はもう亡くなられているので、39年前に会ってお話を聞いておいてよかったと思いますね。