後手を踏んだ候補者擁立
今回も立憲は、党として主体的に都知事選に前向きに対応していたとは言えなかった。擁立作業を市民連合に任せ、気づいたら5月下旬。都知事選告示まで1カ月を切っていた。そんな中、今回の都知事選で2位につけた石丸伸二・前広島県安芸高田市長が、先に出馬を表明した。
突然登場したように言われがちな石丸氏だが、市長時代の動画を通じて、若い世代にはすでにかなりの有名人だった。石丸氏とその周辺は、おそらくかなり早い段階から、都知事選転出を意識してイメージ戦略を行っていたのだろう(それが良いかどうかは別として)。
このまま立憲野党側が、出遅れた上に政治的にパンチの乏しい候補者しか擁立できなければ、選挙戦はメディアの手で「小池vs石丸」の構図にされる可能性が高かった。かつて「古い自民党」に対し「改革派」の立場で挑んだ小池氏が、今回は自民党の「ステルス支援」を受け「守旧派」に転じ、石丸氏が「改革派」を売って挑む。攻守ところが変わっただけの、この30年見飽きた「守旧派vs改革派」の戦いだ。
さらに、石丸氏の選挙を支えたのは、実は自民党関係者。選挙後には、石丸氏と日本維新の会の「共闘」が画策されていたことも明らかになった。
表紙が変わって目新しく見えるが、選挙の構図は結局「第1自民党vs第2自民党」の戦いに過ぎない。「改革派」を名乗る「第2自民党」が、既存の政治そのものに飽き足らない層の票をかっさらい、選択肢となるべき立憲野党系を沈ませる。2005年の郵政選挙を筆頭に、これまで何度も見てきた光景だ。
蓮舫氏で「ギリギリ勝てるかどうか」レベル
こうした構図を打破しようと、立憲は結党以来「目指す社会像の選択肢を提示する」選挙を目指し、実際にかなり奏功してきた。だが、自らを取り巻く環境の変化を自覚せず、都知事選という目立つ選挙で従来のように漫然と対応をしている間に、それを大きく後退させる「古い選挙戦の構図」が作られかけた。都内の立憲支持層が小池・石丸両氏の草刈り場と化し、次期衆院選に悪影響を与える恐れさえあった。
蓮舫氏はリスクを取って、この構図に「割って入った」と言える。
蓮舫氏が出馬を決めた理由の一つに、出馬表明前日の5月26日に行われた静岡県知事選で、立憲の推薦候補が与野党対決に勝利したことが挙げられている。しかし、だからといって「都知事選でも野党側が勝てる」という事前調査は皆無だったはずだ。
地力のない立憲野党にとって、第1党である立憲の上げ潮ムードと蓮舫氏の知名度の二つを合わせて、やっとぎりぎりで「勝ち筋」が見えただけのことであり、現実にはこの時点で、勝算は極めて乏しかった(もし「勝てる」と思っていた立憲関係者がいたとしたら、それは極めて甘い)。
それでも蓮舫氏はリスクを取った。この挑戦が立憲をぎりぎりで救った、と筆者は考える。